《 誰もが愛されたい、愛を感じたいと思っています ところがあなた方は、自分が愛されていると感じるためには自分以外の誰かが奇跡のごとく現れ、どうしようもなくあなたを愛してしまう、というふうにならなければと信じています そこで、“この誰かさん”を探しながら一生を送るわけです。》 バーソロミュー
“この誰かさん”を外に探すこと、そして“この誰かさん”に自分でなろうとすることも、たぶんおんなじこと。
「自分で自分を愛する」という観点もまたすごく制限=概念がかかっていて、サンタクロースはどこにいるのか?という質問よりも前に「サンタクロースってなに?」という問いによって土台から前提を崩してしまうことと似てる。
愛すること、それも自我の担当・範疇ではない。
自我がそれを成さなくても、それはもう起きているから。
愛するというのは、為すことではなくて、ただ気づく。
気づいていなくても、それは起きているのだけど、
気づくと安心が起きるよね。安心でなくてもいいのだけど、
安心は心地よい。肉体は心地よいことによって満たされるよね。
自分で自分を愛さなくてもいい、ただ気づくだけでいい。
忘れていたら、気づけばいい。
また忘れたら、また気づけばいい。
かんじるココロケア あまのこころ