思考・マインドも<在る>の一部なのだけれど、
通常意識というのは思考とのつながりに偏りすぎていて、
それと一体化し、それを<自分>だと思い込み、
それ以外の<わたし>との隔たりをつくって、
「これだけが自分」だと思い込んでいる。
実際は
<自分、とよんでいるマインドの動き>は
<在る=わたし=これ>のほんの一部でしかない。
コアなアイデンティティ(一体化の核・元締めになっている思考・マインド)というのがあって、その思考の動き・あれこれを<自分>だとおもっている。
感情はバラバラなのではなくひとつの球体のようなもの、阿修羅像のような。だから、喜びだけ怒りや悲しみは抜きというふうには出来ていない。怒りは喜びだし悲しみは楽しみであったり<表情>が違うだけ。
その<自分>が、さまざまな情報・思考を収集して、
束ねている=それを所有したつもりになっている。
たぶん、その核となっている思考との一体化が解体してしまうと、自分と呼んでいたものの拠り所がなくなってしまい、消えちゃうとおもう。
考えても悩んでもわからないことを考えて悩み尽くすと
「やっぱりわからない」というゴールに辿りつく。
だから、なんで?どうして?も 大事。
かんじるココロケア あまのこころ