“ノヴァーリスは一七七二年に生まれ、すでに一八〇一年に没した。夭折した彼の数少ない文学作品と一連の詩的哲学的断章の中に示されているものは、まったく神智学的な志向をもった魂の生きざまである。彼の作品のどのページからも、神智学への志向が読者の心に伝わってくるが、彼の最高度の霊的内容は生々しい官能的情熱や個人的な衝動、本能と分かちがたく結びついているのである。そして彼のこのような心性を真にピタゴラス的な思考方法が導いていた。彼は鉱山技師になろうとして、数学と自然科学を熱心に学んだから、この思考方法は年とともにますます研き上げられた。人間精神が純粋数学の法則を、何らかの感覚的知覚内容の助けを借りることなく、自分自身の中から発展させるそのやり方こそ、ノヴァーリスにとって一切の超感覚的世界認識のための範例となったのである。宇宙の調和的構造が、魂に内在する数学法則にしたがってつくり上げられているように、宇宙の根底に存在するすべての理念もまた、魂に内在する数学法則と調和していると考えた。それ故彼にとって数学は畏敬にみちた宗教的性格を持つものだった。次の言葉は彼の魂のピタゴラス的特質を特に明らかに認識させてくれる。
「真の数学は魔術師にとっての本来的要素である。‥‥‥最高の生の営みは数学である‥‥‥真の数学者は本来熱狂家である。熱狂がないところには数学も存在しない。神々の生の営みは数学である。数学者は皆、神からつかわされたものであるに違いない。純粋数学は宗教である。神の顕現がなければ、数学には到達できない。数学者こそ唯一の幸福な人間であるといえる。数学者は一切を知っている。たとえ一切を知らなくても、一切を知る可能性を持っている‥‥‥真の数学は東洋にその故郷を持っている。ヨーロッパでは数学は堕落し、単なる技法になってしまった。数学書を畏敬を込めて手に取り、それを神の言葉のように読むのでなければ数学を理解したとは言えない。‥‥‥自然界の法則に反する奇蹟は非数学的である。しかしこの意味での奇蹟など存在しない。そして人が奇蹟と呼ぶものはまさに数学によってこそ理解できるものである。なぜなら如何なる事柄も数学にとっては思議可能だからである。」
ノヴァーリスのこのような言葉には、単に数と空間関係の科学を神化しようとする考え方だけでなく、神の内的体験のすべてが宇宙全体と本質的な調和関係を持っており、そしてこのことを感覚性から離れた純粋数学の精神構造と数的空間的に秩序づけられた外界の宇宙調和との関係が端的に示している、という観方があらわれているのである。ノヴァーリスは更にこのことを次のような美しい言葉でも語っている。
「人類はわれらの遊星・地球にとっての高次の感覚器官である。人類は地球を上なる世界と結びつける神経であり、上天を見上げる地球の眼である。」
人間の自我と客観的世界の本質との同一性の思想がノヴァーリスの一切の創造行為の中でのライトモティーフとなっている。かれの『断章』の中には次のような格言もある。
「人は神を人間の中に求めねばならぬ。人間的な出来事、人間的な思想、人間的な感情の中でこそ、天の神はもっとも明らかに自己を啓示する。」
また人類全体における「高次の自我」の統一性は次のように表現されている。
「自我なる自由の原点において、われわれのすべてはまったく完全に同一である ―― この自我から分離した存在が各個体なのである。自我は各個体の共有場所であり、中心点である。」
ノヴァーリスにおいてこそ、当時の時代意識が芸術行為に対して与えた役割が明らかになる。芸術とは、彼にとって人間が低次の自我の狭い枠を超えて、宇宙の創造的な諸力と結びつくための手段なのである。”
(ルドルフ・シュタイナー「血はまったく特性のジュースだ」イザラ書房より)
*「ザイスの学徒」などで知られるノヴァーリスですが、彼の父親はジョン・ウェスレーに多大な影響を与えたモラヴィア兄弟団(ヘルンフルート同胞教会)の一員であり、もともと非常に霊的な環境に生まれ育った上、さらにここに書かれているように青年時代に鉱山技師になることを目指していたということはあまり知られていません。同じように牧師の息子として生まれたスウェーデンボルグも三十年間にわたってスウェーデン王立鉱山局の監督官を勤めていたのですが、スウェーデンボルグが亡くなって、ほぼ一か月後にノヴァーリスは誕生しており、両者の間には、何やら霊的なつながりがあるようにも思えます。ノヴァーリスは西洋の数学が堕落してしまったことを嘆いていますが、これは現在日本で行われている算数・数学教育についても同じことが言えるようです。ルドルフ・シュタイナーによれば、数学は均衡感覚や運動感覚とも結びついており、さらにはその起源は霊的な世界にあります。したがって、子どもたちに数学を教えるにあたり、何よりもこのことを教師たちは念頭に置かねばならず、せめてピタゴラス、岡潔先生やラマヌジャンのことを教えることだけでも、子どもたちが数学について持つ印象はかなり違ってくると思います。
・数学者、岡潔先生
“私は大学を出てから四十年近く数学の研究をつづけているのだが、どのようにして数学をしてきたかをひとくちにいうと、自我を抑止することによって大自然の無差別智の働くにまかせたのだといえる。大自然というのは、ふつうにいう自然の奥にあるもの、いわば「奥行きのある自然」のことである。だから、ふつうの自然というのは大自然の上(うわ)っ面にすぎない。無差別智というのは、行住坐臥いつも働いているのに、それが働いていることがその人にわからない。そういう智力である。そして智には知、情、意がすべて含まれている。”
(岡潔「春風夏雨」角川ソフィア文庫より)
