国魂による世界の再編成 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・国魂(くにたま)による世界の再編成  (神意に基づいた平和論)

 

 “「民族自決」の言葉が第一次欧州大戦の平和会議で日本から提案されたとき、一応否決されたが、既にそれより以前に、出口聖師は―― 国魂を源流として民族というものが発展したのであるから、国魂を混合したり、無視したりしたら、世界は治まるどころか混乱する。真の平和な世界をつくろうとすれば、国魂によって民族は自決し、国魂に基づいた国家の形成ができなくてはだめだ。将来民族問題は大きく紛争を繰り返して、如何な大国が力をもって統治しようとしても、どうにもならぬことになる―― と主張されていた。

 『わしは平和の世界をつくるには垣をとれといって来た。その垣というのは一つは民族と民族の垣だ。優秀な民族だの、劣等民族だのと、時代の盛衰によって征服されたり、征服したり、民族の発展期のものと眠りにおち入ったものとを表面から見て批判し優劣をきめるようでは平和は来るものではない。神性の解放、魂の解放によって、相互が平等に、互いに尊重し合うようになれば平和の世界は期せずして出現する。わしの平和論は根源を神性に発しているのだから、近代思想などから結論される平和論とは本質において異なっている』

といっておられた。

 そこで、

 「神意によるみろく世界の構想は、それでは国魂の国家形態でなくてはならないのですね」

と念を押して尋ねてみると、

 『そうだ、国魂を無視して、いかに国家形態をつくり、力で統治していても、いつかは反抗して争うことになる。世界に流布されている思想も、その国魂の反抗や不平等から変形的に発生するものが思想の形をとって現われたものもあるから、その点を注意して見ないと、思想だけを見たのでは判らないところがある。だから歴史というものも、国魂の動きと関連して見るようにしなくては真実をつかむことはできない』

ということであった。

 国魂ということになると、これは容易ならぬ問題であって、世界の創造の歴史にさかのぼってゆかなくてはならなくなる。しかし、そうした研究資料というものは無いといってよいのだから、どうにもならないことになる。

 「国魂の歴史を研究するには、どういう文献によったらよいのでしょうか」

 『それは古い宗教書によることになるが、それだとて断片的だ。そこでわしは霊界物語で国魂の配置や、そのかんながらの性格や、動き方について比喩的に発表しておいた』

 「霊界物語に国魂のことは出ていますが、なかなか判りません」

 『知識的に見ても判るものではない。神的英知によったら判る』

 神的英知ということになれば、普通人としてはあり得ないことである。不可能に近いのであきらめるより仕方はない。そこで、

 「研究は不可能ですね。われわれには神的内流はないのですから」

 『ある。信仰信念によって身魂を浄化向上させ、天的な相応の状態になれば、おのずから英知は輝いて来る』

 「そうすると、みろく世界の構想も、真の世界平和のあり方も、すべて宗教的根源から研究しないと判らないことになるのですね」

 『そうだよ。みんなは宗教的宗教的というが、神の創造した世界で神の守護にある以上、神意、神則を見ないで、世界の構成や発展が判るはずがないじゃないか。しかし神ということが判らぬから宗教的にゆかなくてはならないだけのものであって、神の世界ということが判っているものには、宗教的とか信仰的とかいう言葉が、いかにもつけ足したように感じられる。要は宗教的に進んで行くことが真実をつかむのに早いだけであって、神の世界ということが確かになっている者には、みろく世界も、平和世界も、メシヤの降臨する世界も一つで、国魂によって人類はその位置を得、互いに協力一致すれば、それが神代なのだ』

 「そうですか、元の神代にかえすぞよといわれるのは」

 『元の神代の元ということには国祖という意味もある。現代は神をないものにして、人間主体となっている。元切れて末続くと思うなよという神諭もあるが、すべての元、根源に一応帰一して、そこから一切の眼鼻をつけなくては、神的の順序が違うのだよ。外流ではものはなりたたない。内流が外へと流れて形体ができるという根本がつかめておれば、わけなく理解されるじゃないか』

 「知恵や学では世は治まらぬというのですなあ」

 民族問題については、霊界物語の山河草木の卯の巻にも出ていることであるが、出口聖師の民族論も、国家再編成というみろく神世の構想も、神的秩序による根源からいわれるのであって、平和論のごとき、時には誤解を招いたこともあるが、時代思想から批判すると間違いが起きるのもうなずけるのである。”

 

     (「おほもと」昭和32年8月号 大国以都雄『出口聖師と現代社会』より)