雛型経綸  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・雛型経綸 (大本は日本の雛型、日本は世界の雛型)

 「大本に起こることは日本に、そして世界へと波及する」

 

 「数運は天運と(あい)(がっ)す。尋仁(じんじん)(出口聖師の道名)は化世(かせい)の大責を負う者、必ず数運と天運の輪転に(したが)い、以て世間(せけん)諸劫(しょごう)(さわり)を受く也。」(昭和13年2月18日、道院・紅卍字会瀋陽道院での檀訓)

 

 

 “「世界へ善と悪とのかがみを出す大本であるぞよ。いままでは日本だけのことでありたが、これからは三千世界のかがみになる大本といたすぞよ」明治三二年旧九月一九日 

 

 これは大本の中にヒナ型を作り、それを日本へ、世界へと波及させる能動的な「鑑(かがみ)」である。この「鑑」すなわち「型」は、予言と強くかかわる。予言が言葉で示す前ぶれとすれば、「型」は形で示す予告であろう。世界の出来事は一種のモデル・ケースあるいはサンプルとして、まず最初に具体的な組織や人間関係や出来事の上で大本に仕組まれる。それがやがて日本へ、世界へと波及する。大本という池に投じられる一石が、やがて世界の岸へと波紋を広げるように。この信仰を「型」として、大本では重視する。

 明治三六、七年代、立替え迫るを信じる人たちが続々と綾部に集まり、大きな藁葺きの広前に何家族も同居し、共同炊事をはじめた。 立替えの時期待ち、いわば非常時だから誰もまともな職業につかず、日雇いや内職などをして日銭を得、それで筆先の紙を買った。米の節約のため、ドングリから豆の葉、食べられる草なら、なんでもカユにした。カユといっても、菜をつまみ上げると悲しげに飯粒がぱらぱらとついてくるぐらいなもの…「必ずこんな時がくる」と直はいっていたが、戦前、戦中派の人ならば、誰しもこれに似た体験をさせられている。

 明治四一年三月二四日、のちに大本の大幹部になる湯浅仁斎が初めて綾部を訪れた時、直は彼のたっつけ姿に自をとめてにっこりした。「龍宮の眷族さんがはいていなさったのは、これやったでよ。袴でもなし、股引きでもなし、このお姿で海からぞろぞろ上がってこられましたのや」やがて大本の男女がきそってまねだし、湯浅のたっつけは郷里京都府船井郡宇津村から大本へ移した形になった。それを参拝する全国の信者たちが地方へ持ち帰る。昭和の年代になって、たっつけは「もんペ」と呼ばれ、戦時中、津々浦々で見られるようになる。

 もちろん、この程度の実例なら偶然でかたづけられよう。笑いとばしてもすむわけである。だがどうでも信じざるを得ない型がやがて日本と大本の間に出てくるのだが、第二次大本事件の主な出来事は日時から場所、状況にいたるまで、ぴったり六年後に第二次世界大戦となって移されてくる。 

 昭和六年元日、王仁三郎は「本年は西暦一九三一年で『戦争(いくさ)のはじめ』であり、皇紀では二五九一年で地獄のはじめ』である」と不気味な予言をする。同年九月八日、王仁三郎は第一次大本事件での本宮山山頂の神殿の破壊あとに三つの石碑を建てた。中央の神声碑には「三千世界一度にひら九うめのはな…」の筆先が、右側には「大本教旨」、左側には「盛んなりしみやゐ(宮居)のあとのつる山に やまほととぎす昼よるを啼く」「よしやみは蒙古のあらのに朽るとも やまと男子の品は落さじ」の王仁三郎の和歌二首がきざまれた。

 「つる山」とは「本宮山」の別称だが、四年後の第二次大本事件におけるすさまじい破壊を暗示するような不吉な歌だ。後の歌は王仁三郎がパインタラで死に直面した時の辞世の歌で、やはり、おめでたいとはいえない。そしてこの建立式の時、王仁三郎は「これから一〇日後に大きな事件が起き、世界的に発展する」と語った。はたして九月一八日に満州事変が勃発、日本が中国大陸を侵略する最初の契機となり、世界大戦へと発展してゆく。

 昭和九年七月二二日、大本は東京九段の軍人会館で昭和神聖会の発会式を上げた。統監の出口王仁三郎は、副統監に日本右翼運動の草分けであり黒竜会の創始者内田良平をすえる。国内の革新を目ざす国民精神運動図体として発足したが、これが大衆の共感を呼び、みるみる大きな勢力に育つ。その膨大なエネルギーは次第に右翼化して倒閣現状打破へと傾き、当局を刺激して第二次大本事件の端緒をつくる。六年後の昭和一五(一八四〇)年七月二二日、第二次近衛内閣が組閣される。近衛文麿は陸相に東条英機をすえ、新体制運動を推進するため、国民統制組織である大政翼賛会を創立する。その大政翼賛会の発会式が昭和神聖会と場所も同じ九段の軍人会館で開かれ、その形式、その後の活動状況までそっくり。 

 昭和一〇年一二月八日未明、第二次大本事件がおこり、決死の特高隊は水盃して松江の「宍道湖」付近、赤山の高台にある島根別院に滞泊中の大本の「首領」王仁三郎を奇襲攻撃した。六年後の昭和一六年一二月八日未明、第二次世界大戦が起こる。決死の特攻隊は水杯をしてハワイの「真珠湾」に停泊中のアメリカ太平洋艦隊「主力」に奇襲攻撃を加える。第二次大本事件と第二次世界大戦のおこった一二月八日未明は、むかし釈迦が菩提樹の下で暁天の明星を仰いで大覚成道したという、いわば仏教の誕生の日にあたる。

 昭和一一年三月一三日金曜日、林司法大臣の決済があり、即日、在京の徳永地方検事正から起訴命令が発せられ、ついに大本、人類愛善会、昭和神聖会の解散となって、王仁三郎は重い十字架をおわされる。この三月一三日金曜日は、むかしキリストがゴルゴダで十字架を負った日といわれる。 

 昭和一一年四月一八日に綾部、亀岡両聖地はその所有権が綾部、亀岡町に移り、やがて両本部はもとより全国にわたる施設は残るくまなく破壊される。六年後の昭和一七年四月一八日は米機一六機が東京、名古屋、神戸などを初空襲、やがて日本は米機によって破壊焼尽される。伊勢皇大神宮、宮城すら例外ではなかった。 

 昭和一七年八月七日、王仁三郎が保釈されるや「わしが出た今日から日本が負け始めじゃ」と責付出獄の身でしょうとりもなく放言するが、ちょうどこの日、米海兵一個師団がソロモン群島のツラギ及びガダルカナル島に上陸、翌八日第一次ソロモン海戦が行なわれ米軍の本格的反撃が開始された。

 昭和二〇年九月八日大審院において上告はいずれも棄却され、第二次大本事件はようやく幕となる。この日、マッカーサー元師が騎兵八千その他計一万五千の兵をひきいて入京し、日本全土が建国以来初めて外国箪の占領下に入る。六年後の昭和二六年九月八日、サンフランシスコにおいて講和条約が結ばれ、第二次世界大戦の幕を閉じた。

 王仁三郎が獄中に囚われていた期間は、事件のおきた昭和一〇年一二月八日より昭和一七年八月七日の保釈出所までまる六年八ヵ月、日本が連合軍の占領下にあったのは、昭和二〇年八月二八日に連合軍先発隊が厚木飛行場に到着してより日米講和条約発効前日の昭和二七年四月二七日までまる六年八ヵ月、いずれも閏年が二回入って二千四百三五日、ぴったり一日として狂わない。そのうえ大本事件は昭和一〇年一二月八日に始まり、昭和二〇年九月八日の大審院判決で解決、第二次世界大戦もまた昭和一六年一二月八日に始まり昭和二六年九月八日のサンフランシスコ講和条約によって終る。この期間も共に九年九ヵ月。 

 王仁三郎はみずから損害賠償請求を放棄したが、連合国もすすんで賠償権を放築した。綾部、亀岡の両聖地は大本に無条件で返還されたが、日本の本土も連合国による分割占領の危機をのりこえ、無併合に終った。 

 さて、これらをいったいどう考えていいのだろう。単なる偶然と笑えぬのは、直や王仁三郎が「大本は日本の型」と宣言したうえで、予言通りに日本が動いていることだ。どうやって、誰が、こんなに辻つまを合わせたのか。超能力者としての王仁三郎が六年後に起こる第二次世界大戦をかりに初めから終りまで霊視していたとしても、それを事前にまねて型を造れるだろうか。どんなに大本信者を使ってがんばってみても、事件の始まりから終結まで一日も狂わせずに一人で牛耳るわけにはいかない。いやいや、彼はその問、彼のいう「へそを上に向けて」地のオリオン星座(監獄)に囚われていただけなのである。 では誰が、他に誰が…

 

 「神の申したことは、一分一厘ちがわんぞよ。毛すじの横はばほども、まちがいはないぞよ。これが違うたら、神はこの世におらんぞよ」『初発の神論』”

 

         (十和田龍「第三次大本事件の真相」自由国民社より)

 

    昭和神聖会 発会式           昭和 9年7月22日  

    大政翼賛会発会式            昭和15年7月22日  

     (場所はともに九段軍人会館)

 

    第二次大本事件勃発            昭和10年12月 8日

    太平洋戦争勃発              昭和16年12月 8日

    (出口聖師は宍道湖畔の松江別院で検挙、連合艦隊特別攻撃機は真珠湾を急襲)

 

    神殿破壊開始               昭和11年 4月18日

    米軍機東京初空襲            昭和17年 4月18日

 

    大審院にて無罪判決          昭和20年 9月 8日

    サンフランシスコ講和条約調印    昭和26年 9月 8日

 

    出口聖師投獄期間              6年8ヵ月

    連合軍日本占領期間             6年8ヵ月

 

    (大本に起こったことが、きっかり6年後に日本に波及している)

 

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