自分なんて、
探さなくても生きていけます。
毎日働いて、
ごはんを食べて、
好きなことをして、
誰かと笑って、
寝る。
ソシャゲをやってもいいし、
スポーツをしてもいい。
麻雀を打ってもいいし、
お酒を飲んでもいい。
それで楽しく過ごせるなら、
人生はちゃんと人生です。
なのに、
なぜかわたしは、
何度も自分のことを考えてきました。
「わたしって、何なんだろう」
「このままでいいんだろうか」
「もっと何かできるんじゃないか」
「もっと“良い”自分になれるんじゃないか」
本を読んだり、
ノートに書いたり、
新しいことを始めたり。
そして、
やめたり。

「結局、何も変わらなかったな」
と思ったり。
もういいや、
と思ったり。
それなのに、
しばらくすると、
また自分のことを考えている。
どうやらわたしは、
諦めが悪いようです。
■ 手帳を使いこなしたい
わたしには、
何年経っても諦めきれないことがあります。
その筆頭が、
「手帳を使いこなす」
です。
……急にスケールが小さくなりました。
優雅な手帳タイム。
小さなイラストを入れたりして、
毎日びっしり書き込まれたページ。
かわいいスタンプなんかも押して。
そんな手帳をつくりたい。
……無理でした。
/(^o^)\あかん
何度やっても続かない。
なのに、
またやりたくなる。
新しい手帳を見ると、
「今度こそ」と思う。
かわいいスタンプを見ると、
買う。
スタンプは増える。
手帳は空白。
/(^o^)\やっぱり
それでも、
また始める。
そう考えると、
わたしは
「手帳を使いこなせない人」
なのかもしれません。
でも同時に、
「手帳を使いこなす自分を、
ずっと諦めきれない人」
でもあるようです。
そもそも、
わたしにとって
「手帳を使いこなす」って、
何なんでしょうね。
予定がわかれば、
それで十分なのかもしれない。
実際のところ、予定はGoogleカレンダーに全部入れてる。
殴り書きでも、
必要なときに役に立っているなら、
それも「使えている」のかもしれない。
実際のところ、感情を書き出すためのノートには
毎日とはいかなくても書き出すことはしている。
……けど。
やっぱりわたしは、
小さなイラストを描いて、
スタンプを押して、
デイリーログを毎日更新して
ハビットトラッカーを塗りつぶす
そんなカラフルな手帳への
憧れが捨てきれないのかもしれません。
特に、自由度が高いバレットジャーナル。
ロイヒトトゥルムのノートをお店で眺めては
「ぐぬぬぬ……」と拳を握って通り過ぎます。
■ 三日坊主は、何回やってもいい
三日坊主という言葉があります。
三日やって、
やめる。
また始めて、
三日やって、
またやめる。
それを10回繰り返したら、
その人は
「三日しか続かない人」
なんでしょうか。
それとも、
「10回始めた人」
なんでしょうか。
三日でやめたことも、
10回始めたことも、
どちらも本当です。
だから、
「あなたは本当は継続できる人なんです!」
と言いたいわけではありません。
三日坊主は、
三日坊主かもしれない。
でも、
何度やめても、
なぜかまた始める。
始めてしまう。
どうして、
また始めたんだろう。
何を、
そんなに諦められなかったんだろう。
三日坊主なんて、
何回やってもいいんですよ。
またやりたくなったら、
また始めればいい。
わたしはそうやって、
自分のことも何度も始め直してきました。
■ 「わたしはこういう人」
わたしたちは自分について、
いろんな答えを持っています。
「わたしは何をやっても続かない」
「飽きっぽい」
「人付き合いが苦手」
「どうせ変われない」
「昔からこういう人間だから」
その答えが、
間違っているとは思いません。
実際に、そう思うだけのことが
たくさんあったのかもしれない。
ただ、
その答えを、
今決めちゃって良いのかな?
とは思います。
三日でやめた。
でも、
また始めた。
3ヶ月で辞めた。
でも、
3ヶ月そこにいた。
「あれは勉強代だった」
でも、
何を勉強したんだろう。
「何も変われなかった」
でも、
本当に何もなかったんだろうか。
だからといって、
全部をポジティブに
言い換えたいわけではありません。
無駄だったものは、
無駄だったのかもしれない。
続かなかったものは、
続かなかったのかもしれない。
「やっぱり、わたしはこういう人だな」
という答えに戻ってくることもあると思います。
それでもいい。
ただ、
一度出した答えを、
もう一回テーブルの上に置いてみる。
その答えをつくったものを、
もう一度眺めてみる。
それで何かが見つかるかもしれないし、
見つからないかもしれないけれど。
■ わたしはあなたの「秘伝のタレ」が知りたい
自分のことを
散々考えてきたせいなのか、
わたしは、
その人の人生と、
今のその人に至るまでのできごとを聞くのが
尋常ではなく好きです。
どんな経験を経てきたのか。
なぜその選択をしたのか。
たくさんの材料を鍋にぶち込んで
煮詰めては継ぎ足し、
また煮詰めて熟成している
あなたをあなたたらしめているもの
それをわたしは勝手に
「秘伝のタレ」
と呼んでいます。
わたしはあなたの秘伝のタレが知りたい。
わたしは、
相手のことを
100%理解できるとは思っていません。
似た経験をしていても、
同じ経験ではないからです。
育ってきた場所も、
出会った人も、
そのとき何を感じたのかも違う。
だから、
わかろうとはする。
でも、
わかったことにはしない。
その人の背景を知ることと、
すべてを肯定することも、
同じではないと思っています。
ただ、
その人が
どうしてそう考えるようになったのか。
どうしてその選択をしたのか。
どうして今、
自分のことを
そんなふうに話しているのか。
わたしができなかったこと
選ばなかったことを経験した
わたしとは違う肉体と精神を持つ人の話。
話を聞いたからと言って
追体験できるわけではないけれど。
とにかく聞くのが好きです。
よく自己啓発界隈で
「お金を払ってでもしたいこと」
を仕事にすると良いと言われますが
わたしにとって誰かの半生を聞くことは
お金を払ってでもしたいことのひとつです。
■ 「変わりたい」人たちを見てきた
わたしは2015年から、
オンライン秘書・オンライン事務局として
仕事をしています。
その中で、
講座やセッションを提供する人の
裏側を支えながら、
そこに参加する人たちも
文字越しにたくさん見てきました。
決して安くないお金を払って、
「今度こそ変わりたい」
と申し込む。
でも、
高いお金を払ったからといって、
人が必ず変わるわけではありません。
途中で走ることをやめた人もいました。
最後まで続けられなかった人もいました。
「もったいないな」
と思ったこともあります。
そして、
誰かが伴走してくれることだけを
申し込む理由にしても、
それだけでは難しいんだな、
とも思いました。
コーチでも、
コンサルタントでも、
講師でも、
その人の代わりに
人生を生きることはできません。
結局、
自分がどうしたいのか。
そこには、
本人の意思が必要なんだと思います。
一方で、
わたし自身には、
そのときは何にもならなかったと思っていたことが、
何年も経ってから
芽を出した経験もあります。
「あのときのあれ、
ここにつながってたのか」
と思うことがある。
経験したときと、
その経験が何かになるときは、
同じとは限らないようです。
だから、
「あれは無駄だった」
「勉強代だった」
「結局、変われなかった」
と聞くと
「本当にそうかな?」
と思うのです。
それが間違っていると
言いたいわけではありません。
ただ、
「それは死ぬまで変わらないのかな?」
と思うのです。
■ 人生、全ての伏線は回収できません
人は、
生まれてきた意味が欲しくなることがあります。
でも、
人間も動物です。
言葉があって、
社会があって、
ほかの動物より少し、
いろいろなことを
考えられるようになった動物。
本当は、
生まれただけで十分なはずなのに。
人だから、
その先を考えてしまう。
何者かになりたい。
意味が欲しい。
より「良い」自分になりたい。
あの出来事にも、
何か意味があってほしい。
自分の人生に散らばったものを、
できることなら、
きれいにつなげたい。
でも、
人生、
全ての伏線は回収できません。
「あれは何だったんだろう」のまま、
終わることだってあると思います。
それを、一緒に紐解くことが
できるかもしれません。
できないかもしれません。
わからないものは、
わからないまま残る。
それなのに、
人は考えてしまう。
複雑で、
面倒で、
ときどき自分でも
うんざりする。
でも、
その煩雑さを背負って、
人として生まれてきた。
だったら。
みっともなく、
泥臭く、
足掻こうじゃないか。
何かを成し遂げられるかは、
わかりません。
理想の自分になれるかも、
わかりません。
手帳だって、
来年も使いこなせないかもしれない。
スタンプだけ、
また増えるかもしれない。
/(^o^)\わーお
それでも。
何度やめても、
何度、「もういい」と思っても、
また始めてしまう。
たぶんわたしは、
それでも、
「自分」を
諦めきれなかったんだと思います。
■ それでも、「自分」を諦めきれなかった人へ。
このブログには、
いろいろなことを書いています。
人のこと。
仕事のこと。
ことばのこと。
物語のこと。
自分のこと。
たぶん、
全然関係ないところにも
よく脱線します。
でも、
根底にはずっと、
「あの人は、どんな人生を生きてきたんだろう」
「あの人は、自分の人生を
どんなふうに見ているんだろう」
そんな興味があるような気がします。
わたし自身、
まだ途中です。
自分のことも、
よくわかりません。
変えたいのに、
変えられないこともあります。
続けたいのに、
続かないこともあります。
それでも、
また始める。
また考える。
また、
自分に戻ってくる。
だから、
同じように
もう十分、
自分のことを考えてきたのに、
それでもなぜか、
自分を諦めきれなかった人へ。
色々な言葉を
脈絡なく残していきます。
答えになるかは、
わかりません。
人生の伏線を
回収できるとも限りません。
ただ、
「それ、本当かな」
と、
一緒に眺めることくらいは
できるかもしれません。
そして、
一緒に「なにもなかったね」と
がっかりしたり
今までの人生を
バイオグラフィーなどの
形に残したり
見つめ直すお手伝いをすることが
できるかもしれません。
そういう仕事をしています。
それでも、「自分」を諦めきれなかった人へ。
わたしもその一人です。
まだまだ、自分を諦められなくて。
みっともなく、泥臭く、
足掻いています。