死ぬために生きてんだ。
中学生の頃そう言ったことがあった。
今もそう思ってる?

今は死ぬためだとは思ってないなあ。
死ぬまでの時間つぶしとは思ってる節がある。

時間をつぶす必要があるの?
時間をつぶすというよりは自分が生きていた証を残したい。
お葬式でたくさんの人に泣いてもらえる人間になりたい。

泣いてもらえなかったらどうなるの?その人生失敗なの?
そもそも人生に成功失敗はあるの?

あー、死んじゃったら泣いてるとかわかんないかも。
きっと見えるんじゃないかなーと思ってるけど、現世で死んだことないから見えるかどうかはわかりません。
見えるかわかんないことについて考えるのは時間の無駄?いや、それこそ暇つぶしかもしれない。


お釈迦様の掌の上にでコロコロ転がされるイメージを持ってた。
今もそう思ってる?

「どうせ地球なんて神様のお戯れなんだから」
って考えることあるから答えはYes。
それなら楽しく踊ってやろうじゃないかって最近思ってる。

楽しく踊るってどんな?
自分が好きなことやってやるo(`ω´ )oみたいな。

できてる?
いや、やれてない。
なんで?どうせ掌って思ってるならもしも何かあっても神様なんとかしてくれんじゃね?

そうかもね。どうにかしてくれるかもしれない。私がのたうち回る様を楽しく見ているかもしれないけど。
そもそも、神様がなんとかって考えてること自体がおかしいような気がしてきたなあ。

ああ、そうか。私、自分の人生に責任取りたいんだ。
責任。生まれてきた責任。

ある行為・結果に対してある人(例えばAさん)には責任がある、とされているということは、ある行為がAさん本人にとって選択の余地がある(つまり哲学的な用語で言えば自由意志に基づいて行うものである)と判断されていることを意味する。責任と自由は常に同時に存在し、切り離すことは出来ない。自由の無いところに責任は存在せず、責任の無いところに自由は存在しない、とされる。

責任の概念は、他のことを意志できること、少なくとも意志したとおりの行為を為すことができるという意味での自由意志の概念を前提としている。そのため、責任という概念は、伝統的に自由意志の概念とも結び付けられてきた。


私はなんでこんなに責任というものにとらわれているんだろう?
高校の影響がでかいんじゃない?
いやー、それ言い出したら小学校も中学校も影響でかくね?

自分の責任は自分で取れるようになると言ったのは6年生の時だったけど、まあ随分な足枷を自らかけに行ったものだね。
お粗末な足枷に20年も囚われてるのもいい加減終わりにしたいところだね。

まーーでも一番はやっぱり高校だよ。
自主自律と言いながら周りはとんだ口だけ番長ばかりで、てめえ自由には責任が伴うもんだろうが!と思っていた。
私たちが好き勝手やった結果が、今のあの学校だろう?

そして、私はあそこで、権力に抗うことは無意味だと悟ったんだよなあ。
それは今はとりあえず置いておこう。


私の人生の大前提は、責任を取ること。
それは間違いない気がする。
「責任」に対するネガティブなイメージを書き換えられれば良い。

書き換えれば本当に良くなる?
良くなると思う。少なくとも、今は。
とりあえずこれくらいで人生については一旦寝かせることにする。