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 既読本の書架にあった本。再読。1997年5月初版。

 

 

【霊界の真相を知るべし】
 現代の○○教や××教などは、倫理的教理のみに堕していて、肝腎の霊界の消息を教えない、いな霊界の真相を徹底的に知悉していないから、かえって中有界に逍遥する人間が多い。(p.42)
 21世紀に入った現代では、宗教を通じてよりも、アセンション関連の著作を通じて、霊界の事を学んでいる人々の方が多いんじゃないだろうか。
 アセンション関連の教養として、人間は死ねば終わりでないことなど前提以前の常識であり、霊界のありようだってあたり前に学べることである。その上で、肉体が地上にある時、どう生きるべきかを学ぶのであるけれど、それに関しては今も昔も同じだろう。
 高天原の天国に昇るものは、地上にある時その身内に愛と信との天国を開設しておかなければ、死後において身外において身外の天国を摂受することは不可能である。(p.17)

 

 

【霊界(死後世界)を学ぶなら】
 王仁三郎さんの時代より、現在の方が遥かに霊主体従に移行しているから、現在語られている霊界知識の方が、現代人にとってはたぶん理解しやすいはずである。そのための、チャンちゃんのお勧めは下記リンク。
   《参照》   読書記録(死後探索)
 哲学者が語っているような、「人間は死んだら無になる」なんていうのは、アナクロニズムも甚だしい巨大な誤った見解である。
   《参照》   『働くことがイヤな人のための本』 中島義道 (日本経済新聞社)
             【虚無を背にして立つ哲学】

 

 

【「天人五衰」は嘘】
 現界において八九十才にて死んだ人間も、精霊界の天国へ復活した後は、その強壮な霊魂のままで居るのだから、決して老衰するということはない。天人にも五衰という説があるが、それは決して天人のことではない。霊界の八街(やちまた)に彷徨している中有界の人間のことである。(p.45)
 天国界は不老不死の世界。三島由紀夫が『豊饒の海』の中で表現していた「天人五衰」は、どこまでも文学的比喩だろう。20世紀の文学って、この世という苦界において滅びを背にして語るのが宿命だったように思う。だからこそ「天人五衰」という表現が活きたのである。
 しかし、21世紀の現在は、地球ごと不老不死の領域に参入して行くのである。過去に引きずられる世紀から、未来から牽引される世紀へと変貌してゆく。だからチャンちゃんは最近、ほんの10年ほど前に書かれた文学が、重たくてかったるくて読むのが嫌である。
   《参照》   『ガイアの法則[Ⅱ]』 千賀一生 (ヒカルランド) 《中編》
             【永遠性の獲得】

 

 

【中有界にある霊身】
 さりながら中有界にある霊身は、時によって現界に生存せる親戚や、朋友と交通を保たんと欲し、相当の霊媒の現るることを希望するものである、それは自己の苦痛を訴えたり、あるいは霊祭を請求せんがためである。また執着心の深い霊身になると、現界に住める父母や兄弟、姉妹や遺産などに対して、自分の思惑を述べようとするものである。かかる霊身は現世に執着心を残しているから、何時までも天国へは上り得ずして、大変な苦悩を感受するものである。(p.56)
 人間の本質は永遠なる魂であることや、天界と中有界の違いや実相を理解していないと、中有界にたむろして、人間界に霊障を引き起こす愚かな存在になってしまう。

 

 

【想念と肺臓、愛と心臓】
 精霊と呼吸および心臓の鼓動との間に内的交通なるものがある。そは精霊の想念とは、呼吸と相通じ、その愛より来る情動は、心臓と通づるゆえんである。それだから肺臓、心臓の活動が全く止む時こそ、霊と肉とがたちまち分離する時である。(p.84)
 想念が呼吸に関与しているのは、緊張時や弛緩時に現れる自分自身の体験から分かる。
 愛が心臓に関与していることを、科学者たちが認知したのはまだごく最近である。
   《参照》   『すでにアセンションしている人たち』 櫻庭雅文 (徳間書店) 《後編》
             【心臓にも脳細胞】

 

 

【最後の一念】
 人の精霊は、肉体の脱離期すなわち最後の死期に当たって、その瞬間抱持したところの、最後の想念をば、死後しばらくの間は保存するものであるが、時を経るに従って、精霊は、もと世にあった時、平素抱持したる諸々の想念のうちに復帰するものである。 ・・・(中略)・・・ 古人の諺に、最後の一念は死後の生を引く、といっているのは誤謬である。どうしても、平素の愛の情動がこれを左右するものたる以上、人間は平素よりその身魂を清め、善をいい、善のために善を行ない、かつ智慧と証覚とを得ておかなくてはならないものである。(p.86-87)
 かつての古戦場には、いまだに戦い続けている霊がいるというけれど、そのような存在にとっては、もののふとして戦うことこそが愛の情動であり善であると思っているから・・・ということなのだろうか。

 

 

【愛善】
天国は愛と善との世界なり地上の善事は愛善の徳
愛善の誠尽くせば人間の命は総て不老不死なり
愛善は神の御心現人も愛善あれば滅ぶ事なし
一心に神に祈るも愛善の徳を積まずば空しかるべし (p.140)
 
 

<了>