夕方、仕事を終えておチビを迎えに行くと、なにやら廊下に「おチビちゃん(〜〜〜〜)」と、先生の声が聞こえた。
昼間は年別の保育クラスだけれど、私がお迎えに行く時間帯は幼児の3学年がホールで合同保育になっている。
入り口に着くと、中で一人の女の子が泣いており、先生がその子の口元をティッシュで押させてなだめていた。
関係ないと思われる子が3、4人周りを取り囲み、その横でうちのおチビは固まって立っていた。
廊下に聞こえた先生の声と状況を見る限り、どうやらおチビとそのケガしている子の間で何かがあった様子。
私を見ると、おチビは走ってこちらへやってきて、私の手を引っ張りクラスへ行こうとする。
私はおチビを連れて、その現場に行こうとしたけれど、どうにも嫌がってクラスの方に手を引っ張る。
私が手を離すと、1人でクラスへ走って入って行った。
先生に聞けば、ホール内の保育の際、おチビとその子がぶつかって、おチビの下になるように倒れ、歯で唇を切ってしまったようだった。
喧嘩していた訳でもなく、どちらも悪いと言うことはない、事故でした。との事。
おチビは、ゴメンね、と言い、だけどショックを受けているようなので、と話してくれた。
保育室へ行って見ると、おもちゃの棚の陰で小さくうずくまって座っているおチビがいた。
顔は引きつっていて、おいで、と言っても来ない。
そのうち、手足をばたつかせて怒り始めました。
私を叩きながら、叫び出し、大声を上げて泣き始めた。
しばらく叫び続けた後、背中をさすっていたら、やっと膝に乗って抱きついてきたのでギューっと抱きしめながら少し話をした。
びっくりしたこと
怖かったこと
自分のせいでお友達が血を流したこと
そんな事でショックだったようです。
おチビもお友達も悪くないことを話しつつ、怖かったね、と言って話しかけつつ、おチビはしばらく泣いてました。
その間に、そのお友達のお母さんもお迎えに来て、ちょうど状況やらごめんなさいやら、話すことができて、先生も来て「おチビちゃん悪くないよ」と言ってくれ、お友達は先に泣き止んでいて、「(ケガももう)大丈夫だよ〜!」と言って帰っていった。
友人のボディワーカーの人が言っていたのだけど、野生の鹿とかは、肉食動物に襲われた後助かると、安全な場所でブルブルッと体を震わせて恐怖や怒りを逃し、そしていつもの自分に戻って日常に戻るんだって。
子どもが酷く怖い思いをした時や、怒られたりした後、わーっと泣いて叫んで暴れて、もう数分後にはケロッとしているのも、それと同じだ、って。
案の定、帰り道歩いている頃には気分転換もされて、コンビニでお菓子をねだるいつものおチビに戻っていました。
そんなおチビを見ていて
大人はどうだろうか?
とふと思ったのね。
嫌なことや辛いこと、悲しいことや怒りの湧くことにあった時、その場では、もうその場をやり過ごすことや傷を深くしないことに精一杯で、緊張しているはずで、でもその後、そのギュッと固まった感情や感覚をちゃんと放出させているだろうか?
今回の子供のように、その時その時でその感情や感覚を放出させて消化していたら、きっとそんなにはこじらせずに済むのではないかな。
我慢したまんま、いつのまにか次に進み、置き去りになった感覚や感情。
蓄積されてそのうち大きな爆発を起こす。
独身時代、私はその蓄積されてしまうタイプだったんじゃないかと思う。
それが子どもを産んで共に暮らす中で、蓄積されていると、ちょっとしたことで爆発を繰り返し、でもそれによって溜まっていた残がなくなって、ようやくフラットになったように思う。
今は小出しにその都度放出しながら大爆発は起こさなくなった。
別件だけど、自分の中で1人で抱えていた大きな(そう見える)事が、ただ聞いてもらっただけで、解決策も別になくても、一回り小さくなった経験がある。
誰かに話す、ということをするだけで、頭の中で悶々と思っていただけでは見えなかった事も見えてくる。
すごくマクロの視点で見ていたことが、引いて見られるようにもなる。
人は1人では生きていけない
そう言うけれど、それは何も物理的なことだけじゃなくて、こう言う思いや考えを外に出すと言う事も含まれるのかもしれないな。
近すぎて話せない事って言うのもある。
私もそんな時に、聞く立場で役に立てたらうれしいな。


