これまでの人生で、台風だからと仕事を休んだ事は無かったな。
むしろ、台風だからこそやる事満載で休めなかった。
オープンセットが壊れない様に。
現場が困らない様に。
機材がダメにならない様に。
その時の移動の足の確保。
大変だったな〜〜。
でも、今は私が全部決めて良い。
だから、休みにしました。
それに、子供たちを1週間の休み明けに、さらに家に置いておくのもキツかったね、前は。
やんわりと変わる意識。
今ね、何となく考えるまで行かないまでも、頭の中に引っかかる言葉とか情報とか、状況とかあって。
先日まで実家に帰っていたのだけれど、あらためて母を見ていて思う事もあってね。
母は、戦争が終わる前に産まれた世代。
自分の意思で何かを決めていくと言うよりは、こうあるべき、や、周りを見て何かを決める事を良しと根付かせて来た人。
その世代の誰もがそうではないのかもしれないけれど。
自分がどうしたいか、何がいいか、を見る時に、本当の自分の気持ちを見る事は、ほとんど無い。
目を向ける先が、もう違う。
状況や周りから入る事しか知らない。
それ以外、知らないってそういうことなんだな、と思う。
母はもう75歳。
これまでの世界観がひっくり返る事は、余程の事がない限り無いだろうし、それには本人がそこに疑問を持たなければ始まらない。
でも、同じように世界を見ている人で、まだまだ若い人がたくさんいる。
そう言う人の力に、私はなれると思うから、サービスを提供する。
その流れていく意識の中に、ひとつ、提供するサービスの値段の付け方について、っていうのがあってね。
高い値段のサービスには、覚悟料と言う言葉が使われている事があるんだって。
確かに私も聞いた事あるし、ごもっともな言い分でもある気もする。
でも、提供する側の覚悟の為に、その言葉が使われているのは、とても違和感を感じます。
買う人は、貴女の覚悟の為にお金払う必要ないでしょ?!
って。
お金は自分のために使うのであって、それを売ってる人の気持ちを救うためじゃない。
金額で覚悟しないと全力出せないならやめれば良いのに、と思ったり。
でも、反面、支払う側、お客様側には有益な事もあるな、と思う。
5,000円のサービスを買うときと、50,000円のサービスを買う時は、その人の覚悟や真剣さには、やっぱり大きな違いがあると思う。
そんなもの関係無く、軸をしっかり持って、5,000円で50,000円の価値を持って行く人もいるけどね。
なんにせよ、金額だけに左右される状態って、提供側も受ける側も、本当には真剣さが無い気もしたり。
私の提供するサービスは、1万円前後〜15万円まである。
私の中では、適正のものも安いなぁと思うものもある。
でも、今は高すぎるものは出していないつもりです。
セオリー的な値段の付け方は色々聞きますが、誰にでも通づるセオリーは、やっぱり無いとも思う。
単発のコンサルで、私が受けたもので1番高いのは90分35,000円だった。
1万円台の物も受けた事はある。
人が違ったしサービスも違ったので、一概には言えないけれど、それぞれに提供する人の特徴があって、そういう値段にしているのだろうと思う。
35,000円のサービスは、もっと安かった時に行列が出来ていて、より真剣なお客様に来て欲しいから、と言う提供する人の理由で値段が上がり、その金額になってた。
それを基準に思えば、私が提供しているコンサルは、今は安すぎると思っている。
でも、すぐに値段を上げるつもりも、今のところ無い。
15万円のサービスは、金額だけ聞けば高額のものではあるけれど、私はどう考えても、それ以下にしてサービスの提供を続けていく事は出来ないのだよね。
私の方ではそれだけの関わり方と、お客様の方へは1万円を15回買うよりも、確実に大きな物を手にできると知っているから。
だから、このサービスについては値段が上がる事はあっても、下げる事は無い。
人によっては、1万円の物でもいいのかもしれない。
でも、そういう人はそもそもこの手のサービスが『気になる』事すら無いから、目にする事も無いと思うのね。
とか。
そんな感じでたくさんの事が、考えるともなくつらつらと頭の中に流れている。
台風が去ったら、持ち物の見直しをしようと思う。
物理的にも心理的にもね。

