自分の強みは過小評価しがち | 狭間和恵の人生を創造する数秘とコンサル【野生児的人生の歩き方】東京・品川
先日こんな事がありました。


ある方から「コンサルを受けたいのだけど、こんな事でも対応してもらえますか?」と相談がありました。
全体的な内容は、新たにスタートしたい事がボンヤリとあり、どこから手をつけていいかわからない。という事でした。
ボンヤリを明確化してスタートを切らせ、軌道に乗せるための一歩を踏み出す為のアドバイスを求めていらっしゃった。


これを聞いて、まず初めに思った事は、

私は0から1は得意ではないので役に立てないだろう

という事。
幾つか質問をしてわかった事は、現状必要な目の前の手順は私はわかるという事と、先方はそれもさっぱりわからないという事。
ならば、そこならわかるという事で、とりあえず話しを聞いてみる事にしました。


結果、私が「あたりまえ」だと思っていた事がその方には全然知覚外の事で、それまで数カ月(!!)もの間、右往左往と一歩も進まなかったことが一気に進みました、と、とても感謝されました。


具体的にはこんなような事。


【バスでお出かけしたくて家から出たいけど、どうやって行っていいかわからない】

私にとっては普通の事なので、「とりあえず出てバス停に行っちゃって」と、バスの乗り方の話に進めようとしたら、「とりあえず(家を)出るってどうやって??」と、そこからもうすでにわからないんだって。


・着替えって、どの服に?
・ドアが閉まってるけど…(ドアの開け方が分からない)
・出ちゃって泥棒は入らないの?(鍵の概念がない)
・何を持っていけばいいの?
・バスってどうやって乗るの?


と、こんな具合でした。これはもちろん比喩ですが、

・ドアとはこういう作りになってるから、ノブを回して押すんだよ
・鍵はこれだから出たら外から穴にさしてガチャッと言うまで回すんだよ
・服は寝巻じゃなくてこれとこれを着てね
・バスに乗るからお金持って行ってね
・バス停に着いたら時間まで待って、来たら3番のバスに前の扉から乗ってね



そう言う事をお話ししました。
まさに、子供に話すように、です。
自分にとってはあたりまえだと、家の出方なんて、できない概念がないからわからない事に気が付けなかったんですよね。




強みを見る仕事をしているので、強みがどんなものかわかっています。
けど、やっぱり自分が当たり前に普通にできる事って、相手が分からないという事実が分からないんですよね。
「わからない」と言われなければ、わかっているものとして見てしまう感じ。
例えは、わかりやすく日本人の大人なら100%わかる事を書いたけど、本当に強みを持ってる側から見たらそんな風になるのです。
だいぶ自覚はしているので、そうそう最近は無いんだけど。
でもやっぱり自分の事は、自分の強みは過小評価になりやすい。


これ、なんかとても初心に帰った出来事でした。
私だけかもしれないし、けっこうみんなもあるだろうとも思うのだけど、
「こんなことでは役に立たないだろう」って自分で勝手に決めてしまうのはやめよう、とあらためて思ったんだよね。
それが強みにかかわる事ならなおさら。


自分だけが飛びぬけてできる事



それが強みと言うものだから。

それに、いつも自分でも書いていることだけど、「こうだろう」って相手の事を勝手に想像しても、本当にそうかどうかは聞いてみなけりゃわからない。
おおよそ合ってるにしても、細部は違うかもしれない。
いつも手に取るように分かるからって、今回もそうだとは限らない。

バシッと言っちゃえば、考えてもムダな事が多かったりする。


それで、この一件から頭の中に雪崩のように連鎖して出てくる想いがありました。
それは垂れ流しになるんで別記事にて。