潤滑油と言うか。
自転車に油を注したり、少し疲れた時にビタミンサプリを飲む感じです。
自転車は、チェーンを交換してもいいけど、油を注せば済むのなら注したらいいし、ビタミンはサプリでなく、食べ物から摂っても良いよね。
あれば便利。
無くても死なない。
そんな感じです。
でも、それは自転車ならば
チェーンが錆びててギシギシいっている
と言うことを自分で気づいていなければ交換する発想が出てこない。
疲れているのならば
それがビタミン不足から来ている
と自分で気づいていなければ補うことは出来ない。
自分で原因が分からない時は、とても有効になる事が多いのではないかな?と思う。
そして、いくらチェーンに油を注したって、やり方(行動)がそのまんまなら何も変わらないのです。
自転車で集合ね!って事なのでいつも自転車乗ってたけど、ギシギシで漕げないから、リヤカーに乗せて持ち歩いてたりしてたら。
重たいリヤカー引いて、自転車走行の人と同じ速度で走って行く。
そりゃ大変でしたよね。
疲れるよね。
パワー使うよね。
で、油を注した(ヒーリングとか受けた)。のに。
せっかく油を注したって、荷台から降ろして自分で漕がなきゃ手間も減らず、人より疲れて何も変わらない。
ヒーリング受けたのに良くならない!!
って。
え?リヤカー捨てちゃえば良くない?
みたいな?(笑)
調整されてるのだから、いらん手間と手順やめたら?みたいな。
普通に漕いだら良いよ。って事ですね。
やり慣れた手順をやめる時、今までそれがあったからやってこれたのに(リヤカーで自転車を持っていく)、普通に乗ったら漕げなかったのに、上手く行くわけないよ、って。
遅れちゃうよ。失敗しちゃうよ。
って。
そして、そのうち油を注したってどーにもならないくらい錆び付いて。
もう、チェーンを変えたほうが早いじゃん!と言う状態になってたり。
こうなったら、もうヒーリング受けたって効かないよね~。
思い込みって言うんですかね。
長年の癖とも言うのですかね。
そう言う事ってたーくさん起きている気がします。
何が起きているのか、自分がどこに立ってるのか、現実に直面する気持ちのある方はお手伝い出来ますので来てくださいね(^-^)/
で。私の祖父母です。
前に書いたように、今の言葉で言えばかなりのスピ系でした(笑)
私は祖父母と同居で育ったので、小さな頃に朝晩と神棚にお祈りしているじーちゃんばーちゃんの背中を見て暮らしてました。
時に、昼間に仏壇前でじーちゃんが長く座る事があった。
そんな時は、だいたいどなたかがじーちゃんに降りてきていて、それを横でばーちゃんがなだめたり話したり聞いたりしてたんですな。
(実際、死んだ母方の爺さんが同居のじーちゃんに降りてきて、喉が渇いた。水が欲しい。と言ったそうで、長崎にあるお墓を見てきてもらったらお水のコップが割れていたそうです。墓守の親戚も忙しさにかまけて、しばらく行っていなかったようで。
その後は遠くからでもいいから、と言うじーちゃんのアドバイスで、遠い埼玉の我が家から長崎のお墓の爺さんに毎日お水を供えていました)
神様も仏様もいる、と言う家で育ったので、神様は普通に、日常に、そこかしこに、居るのが当たり前で、何も特別な事は無く、生きている人の手助けをして存在する。
そーゆー物だと理解しています。
なので、手助けあって当たり前。
いて当然。
時々、本当に助かった時は、心の中で天に向かって『ありがとう~!!』と言う。
これは!と言う頼みごとがある時は、心の中で天に向かって『みんな頼むよ!!』と言う。
そんな感じですね。私にとっての神様と仏様。
こんなでしたから、現代用語のスピ系の一部がどうやらこの事らしいと気づいてからは、なんの抵抗もないのです。
なんだかわからなかった時は、怪しさ満点、胡散臭~!!と思ってました(笑)
まぁ、今も胡散臭いのは山ほど居ますけど(笑)


