まだ2日前なのだなーと思う
私の中ではもう遠い遠い昔の話みたい
なんかね、あっけらかんとしてる
妊娠報告してあった
職場の上司や一人の友人にも
事実だけを淡々と報告する自分がいた
特に友人に対しては
絶対友人の方のが気を遣うと思って
電話で話をしたんだけれどね、
流産の報告をして
「そうそう、そういえばさー」
まるでそんな切り替えをしていたように思う
もっと言葉に詰まると思ってたのに
反面
夜のご飯はまだ、まともに食べられない
まだ っていうのは妊娠していた時
疲れやすいからかつわりの影響からか
胎嚢が見えた頃から食べれなかったんだよね
今もまだそんな感じが続いている
そして寝るのも怖くなった
何故か、というのもなくただ怖い
怖がるそこに何かがあるようで
あっけらかんとできる自分に通ずる気がして
考えて、向き合って、もがいて、
私がまだ受け入れられていないもの
やっと今日、少し分かった気がするんだよね
私の赤ちゃんが死んでしまったこと
心のどこかでバイバイ👋したけれど、
分かる というところでは
私が大切にしていたものの死を
しっかり理解できていないのかもしれない
私は自分が流産したことを知る前に
赤ちゃんが現実と夢のはざまに現れて
「心配しないでね」のお別れしてくれたから
まるで新興宗教か何かのように
今はただ、
また会う日を妄信しているだけかもしれない
流産は流産なのであって
周期的には早かったけれど、
もう少し先だったら死産届を出したり
そのまた先だと出生届と死亡届を書いて
記録に残る死と変わらないのだということ
祖父や祖母の死と同じでもあり
しかし、順番的に定められたものとは違い、
他の未来も予想ができた上での
人が一人亡くなったのだということ
そういった
リアルで生々しい死の現実に
私はまだ向き合いきれていないと思う
つまりそれは、
自分のお腹の中に命があって
私や、家族や友人たちと同じように
紛れもなく生きていたのだということに
しっかり向き合いきれていなかったのと同じ
その事実を受けて
また会えるよねって、言えるのだろうか
軽々しすぎやしないだろうか
私は今、それを考えている
すぐに答えが出ないのは分かっているから
何か答えを出そうともしていない
今はとにかく
日中はあっけらかんとしていて
夜になるとふさぎこむそのままの私で
流れに任せて行ってみようと思う

