4月上旬の新潟漫遊初日。
最初に降り立った中越浦佐で最後に向かったのは、霊峰・八海山を御神体として仰ぐお社。
<旅の工程>
1日目:浦佐→塩沢→長岡
2日目:宮内→弥彦
3日目:弥彦→新潟
4日目:新潟
浦佐駅から北4km程に位置する西福寺を後にして、30分程掛けて駅の南5km程の山の麓の集落へ。
麓の社務所から坂道を1km、社頭に着きます。
(電動アシスト自転車に大感謝)
広場から山に向かって石段が続いています。
◆八海山尊神社◆
広場から柏手を打つと、石段が鳴り響くことから、"龍鳴の階"とも呼ばれるそうです。
*読みは"リュウメイノキザハシ"
石段途中には龍の石像が建っています。
(冬期はシートに包まれている模様)
1段上がる毎に神威を強く感じながら、88段の石段を登っていきます。
大鳥居
白御影石の大鳥居は昭和56年(1981)の建立。
石段から広場を望む。
この広場は霊風園と呼ばれ、10/20に大火渡祭が開催されます。
豪雪地帯の魚沼地方に春が訪れるの4月下旬。
今頃、石段は桜に包まれていることでしょう。
手水舎
八海山の湧水が引かれています。
石灯籠の雪除けの雪吊や社殿を囲む板塀が雪深さを物語っています。
和楽殿
祭殿兼休憩所です。
地上2階建ての造りも積雪対策?
拝殿
<御祭神>
国狭槌尊
天津彦瓊瓊杵尊
木花咲耶姫売尊
大山祇尊
日本武尊
主祭神の国狭槌尊は「日本書紀」において、天地が生じた際に二番目に誕生した神。
*読みは"クニサツチノミコト"
国狭槌尊の他、天孫降臨で知られる瓊瓊杵尊、その妃で富士山の神・木花咲耶姫尊、その父で山の神・大山祇尊、そして、その東征伝説で多くの霊峰に軌跡を残す日本武尊が祀られています。
古代からの山岳信仰に加え、中世においては修験道の一大拠点として栄えた八海山。
山岳信仰のお社らしい御祭神ですね。
"4/19迄、神事等は社務所にて"との張り紙。
4/20に社務所で春季大祭が執り行われ、八海山尊神社の冬が明けます。
本殿
お参りを終えて、社殿後方へ行ってみます。
標高1,778mの八海山には3箇所に登山口があります。
そのひとつがここ八海尊神社の大崎口。
寛政6年(1794)に普寛行者により八海山が開山されると、八海山信仰は県外にも広がり、戦後にはこの大崎口が最大の拠点となります。
普寛行者は木曽の御嶽行者として知られ、八海山は開山後に御嶽山の兄弟山となりました。
沢を超えて進むと、社殿が見えてきました。
門柱に刻まれた"豊磐間戸神"は門の守護神。
苔に覆われた狛犬。
泰賢行者の霊窟
大崎口の登拝道を切り開いた泰賢行者が3年間籠もったとされる霊窟です。
里宮
静寂が支配する空間に佇む社殿。
登山シーズンともなれば、多くの人が参拝をして登山道に入っていくのでしょうね。
信仰の厚さを感じる八海山大神の石碑。
里宮から参道を振り返る。
山岳信仰を起源とするお社らしい、深淵で特別な雰囲気の八海山尊神社。
西福寺に続き、念願達成でした。
残る山口と大倉の八海山神社は次回必ずや。
石垣の上が霊風園。
行きは電動アシストでもキツかった坂道。
帰りは突風の如く爽快。
平地から坂道の入口です。
ここからアシスト自転車で5分程。
社務所
歴史を感じる社務所。
冬期間はここで神事が執り行われます。
御朱印
とても朗らかな奥様に対応していただきました。
時間を貰えれば直書きもして下さるとの事でしたが、お昼時に申し訳なく、書き置きでお願いしました。
今年は降雪も少なく、暖かくなるのも早かったそうです。
八海山 龍谷寺
(宗派:曹洞宗)
社務所前に佇む古刹。
山号通り、八海山信仰と深く繋がっていた寺院で、元は八海山中腹にあったそうです。
本堂
本堂には石川雲蝶の透かし彫りの欄間があるそうです。
観音堂 慈雲閣
インドのグプタ朝時代の寺院建築を模した観音堂は、伊東忠太の愛弟子・大岡實による設計。
伊東忠太による築地本願寺にも通じますね。
13時に浦佐駅に帰着。
次の目的地の旧宿場町に向かいます。























