宮崎県中北部の港町、美々津。

 

藩政時代には交易の要として栄え、往時を偲ぶ町並みが重伝建として選定されている町。

 

<旅の行程>

1日目:青島→日南→宮崎

2日目:宮崎→都農→美々津→延岡

3日目:高千穂

4日目:延岡

 

そんな町並みの端に佇むお社へお参り。

 

◆立磐神社◆

*読みは"タテイワジンジャ"

 

美々津は神武東征の船出の地と伝わり、この立磐神社も神武天皇ゆかりのお社です。

 

 

注連縄が掛けられた霊石があちこちに。

 

神武天皇御腰懸之磐

 

神武天皇が腰掛けたとされる岩が、玉垣の囲まれて祀られています。

 

 

この岩(磐)が社名の由来。

 

各地に色々な"腰掛け岩"がありますが、その中でも圧倒的な由緒を持つ岩と言えますね。

 

 

参道を振り返る。

 

境内左手は海、美々津港です。

 

 

その社名通り、側面は岩場。

 

伝承の域を出ないと言えばそれまでですが、それでも神武東征の船出の地とされてきた歴史を思うと、2600年を超える時の渦に飲み込まれていく気分。

 

御神木

 

樹齢400年の楠です。

 

根本の洞に小さな鳥居が納められています。

 

拝殿

<御祭神>

底筒男命

中筒男命

表筒男命

神武天皇

 

神武天皇が東征の折、海上安全を祈念して底筒男命・中筒男命・表筒男命の三柱を奉斎します。


それに因み、第12代景行天皇の御代(71〜130)に創祀されたと伝わります。

*読みは"ソコヅツ・ナカヅツ・ウワヅツノオノミコト"

 

三柱は所謂、住吉神ですね。

 

東日本で海上安全の神様と言えば、弁財天(=厳島)が主流ですが、西日本では住吉神になるのが、地域性を感じて面白いですね。

 

厳島は広島、その本家・宗像は九州と、いずれも西日本の神様ですが。

 

本殿

 

天正6年(1578)、大友氏と島津氏の耳川の戦いで社殿も文献も焼失するという不運に見舞われます。


しかし、元和9年(1623)に復興、昭和9年(1934)、神武天皇船出2600年記念事業で修築、令和4年(2022)にも大改修が行われました。

 

 

溶岩が生み出した柱状節理の岸壁。

 

苔むした石碑が深淵な雰囲気を醸し出します。

 

 

無人社ですが、近くの宮司宅で御朱印を頂けるようなので、帰りに寄る事に。

 

宮司宅前に着くと、丁度、宮司夫人が草むしりをしており、私達に気付くと、"御朱印?どうぞどうぞ"と、作業を中断して招いて下さりました。

 

社務所

 

名勝庭園も見学させてもらいました。

 

橋口氏庭園

(日向市指定史跡)

 

京都醍醐寺の三宝院庭園を模倣したと言われる池泉式庭園。

 

天文年間(1532〜1554)の築造と伝わります。

 

橋口氏は安土桃山時代にこの地に移住してきた修験者だそうで、当時ここにあった長福寺の住職を務め、明治時代以降は神職となった家柄です。

 

宮司家が橋口氏の末裔かを聞くのを失念…

(姓が違うので気になりました)

 

 

御朱印を頂いた後、奥様が立磐神社やご家族の事まで面白いお話を色々して下さりました。

 

また、禰宜を務める娘さんが私と同じ大学出身と知り、時期的に箱根駅伝の話で盛り上がったりも。

 

在学中は神奈川住まいだったそうで、もしかしたら我が家の近所だったかも?

(2つのキャンパス通学に最適なので)

 

娘さんは卒業後、都内で仕事をしていたものの、とある家族事情でK学院大学に入り直し、神職の資格を取得して帰郷、禰宜となったそうです。

 

立磐神社のInstagram(←LINK)も娘さんがやっていて、これがとても面白く、早速フォローです。

 

詳しくは記せないけれど、これ以外にも奥様には、都会ではあり得ない温かいおもてなしまでしてもらい、生涯心に残る素敵なお参りとなりました。

 

御朱印

 

またいつか訪れたい美々津。

 

そして、立磐神社。

 

それまでは神社のInstagramで素敵なご家族の様子を見守って…

 

 

立磐神社 Instagram