11月の3泊4日隠岐島漫遊最終話。

 

〆は後醍醐天皇です。

 

焼火神社からタクシーで別府港に戻ります。

 

10分でしたが、女性運転手さんと島と観光の話で盛り上がり、楽しいひと時。

 

港に着いたのが10時半。

 

フェリーの出港時刻まで1時間半程。

 

この旅最後の史跡へ向かいます。

 

別府港から徒歩5分程の湾に突き出た丘陵にその史跡はあります。

 

◆黒木御所跡◆

(島根県指定史跡)

 

ここは、元弘の乱で敗北して隠岐に配流された後醍醐天皇が、隠岐を脱出してするまでの1年間を過ごしたと伝わる御所跡。

 

その対岸には、後醍醐天皇を監視する見張り番がいたと伝わる小島があります。

 

見附島

 

天皇による政治を理想とし、鎌倉幕府討幕を企てた後醍醐天皇。

 

元弘元年(1331)、討幕計画が密告により発覚し、三種の神器を携えて挙兵をしますが、北条高時率いる幕府軍の圧倒的な兵力にあえなく敗北、囚われて隠岐に配流となります。

 

その時の心境たるや・・・

 

 

まさにこれだったかも?w

 

 

門から参道を進むと、湾に面した白亜の鳥居が見えてきます。

 

 

後醍醐天皇を祀る黒木神社の鳥居です。

 

 

その先に神社と御所跡へ続く石段があります。

 

黒木神社

(御祭神:後醍醐天皇)

 

創建年代は不詳。

 

いつ頃からか後醍醐天皇を祀る、もしくは御所跡の守護として祀られてきたものが、近代になって社殿を建立したものと思われます。

 

黒木御所遺跡

 

その奥に御所跡の碑があります。

 

 

石碑の両脇には、皇太子皇太子妃時代の上皇上皇后陛下の記念植樹。

 

"黒木"の名は、皮を削っていない黒木で御所が築かれた事に由来します。

 

続いて、資料館へ。

 

碧風館

*入館料¥300(12月〜3月冬季休館)

*読みは"コンプウカン"

 

昭和44年(1969)に開館した、後醍醐天皇の軌跡を辿る資料館です。

 

 

壁には御所跡の石碑の書。

 

"現代書道の父"、比田井天来によるものです。

 

館内には、配流から脱出、京都への還幸を描いた日本画が展示されています。

 

 

黒木御所の風景。

 

同じ隠岐に配流された後鳥羽上皇とは異なり、後醍醐天皇は隠岐に馴染む事なく、名和氏の手引きにより僅か1年で隠岐を脱出して再挙兵、足利尊氏や新田義貞の活躍により鎌倉幕府は滅亡します。

 

そして、元弘3年(1334)に天皇の親政による建武の新政(建武中興)を始めます。

 

 

不屈の精神で討幕を遂げた後醍醐天皇。

 

係の方曰く、熱心な日蓮宗信者だった事も影響しているのではと。

 

この係の方の解説がとても流暢で分かり易く、それを聴くだけでも立ち寄る価値があると思いました。

 

 

後醍醐天皇から下賜されたものと伝わる品々。

 

 

配流と京都への還幸の経路や関連史跡などが記されています。

 

討幕後、自身の理想とする政権を立ち上げた後醍醐天皇でしたが、足利尊氏と対立してしまい、京都を逃れて奈良吉野へと落ち延び、建武3年(1337)に京都朝廷(北朝)に対抗して吉野朝廷(南朝)開きます。

 

これが南北朝時代の始まりです。

 

その2年後、南朝の劣勢を覆せぬまま、吉野の地で崩御します。

 

その後も南北の争いは続きますが、新田氏・北畠氏・楠木氏といった忠臣が敗れ、明徳3年(1392)に南朝が北朝に三種の神器を譲渡して南北統合となりました。

 

御朱印

 

 

歴史を築いた偉人の隠れた流刑の1年。

 

旅の終わりに相応しい、歴史のプロローグを垣間見たひと時でした。

 

焼火権現

 

別府港の妖怪ブロンズ像。

 

後鳥羽上皇が隠岐に配流される際、暴風で荒れる海で上皇を救ったという伝承が残る、焼火神社の神様。

 

神様と思えない風貌がらしい作風ですね。

 

別府港

 

さよなら、西ノ島。

 

 

港のお弁当屋さんで買った生姜焼き弁当。

 

船上ランチで隠岐飯の〆です。

 

別府港から、西郷港まで1時間40分。

 

西郷港から空港へバスで10分。

 

隠岐空港

 

15時の便で伊丹空港を経由して羽田へ。

 

ご当地マンホール(ポケふた)

 

空港にあったポケふたです。

 

佐渡・壱岐・対馬・隠岐。

 

かつて国だった日本の離島4島。

 

2016年秋に佐渡、2019年に壱岐・対馬、そして、今回の隠岐。

 

9年掛けて叶えた4島巡り。

 

感無量です。

 

これにて、11月の隠岐漫遊のお終い。