3泊4日隠岐漫遊3日目。

 

朝8時に島後の西郷港をフェリーで経ち、1時間程で島前の菱浦港に到着。

 

島前は中ノ島・西ノ町・知夫里島の3島から成っていて、上陸したのは中ノ島。

 

<旅の行程>

1日目:島後(隠岐の島町)

2日目:島後(隠岐の島町)

3日目:島前(中ノ島・海士町)→島前(西ノ島町)

4日目:島前(西ノ島町)

 

スポーツバイクタイプのアシスト付チャリで軽く島を巡りました。

 

最初に訪れたのは港から15分程のお社。

 

◆隠岐神社・後鳥羽上皇行在所跡◆

 

古来、島流しの地として知られる隠岐、時の天皇も後鳥羽天皇と後醍醐天皇が流刑されました。

 

ここ隠岐神社は後鳥羽天皇を祀るお社。

 

 

桜並木の参道を抜けて石段を上ると、神門が見えてきます。

 

 

参道左手に社務所。

 

遷幸800年記念による、後鳥羽院が残した和歌の幟が境内を飾っていました。

 

神門

 

第82代後鳥羽天皇は元暦元年(1184)に即位。

 

「新古今和歌集」の編纂を行うなど、文武両道の天皇として知られます。

 

しかし、鎌倉幕府に対して挙兵した承久の乱で2代執権・北条義時率いる幕府軍に大敗、承久3年(1221)に隠岐に配流となります。

 

 

後鳥羽院はこの地にあった源福寺を仮御所として19年を過ごし、延応元年(1239)に崩御します。

 

都から遠く離れた離島での失意の日々、和歌に支えられ、隠岐で「遠島百首」を残しもしました。

 

 

神門から続く石畳の参道。

 

その先に社殿が佇んでいます。

 

拝殿

(海士町指定有形文化財)

<御祭神>

後鳥羽天皇

 

後鳥羽天皇は崩御後、裏山で火葬されます。

 

その遺灰を納めた火葬塚が築かれ、江戸時代には島民により祭祀が行われていたと伝わります。

 

 

そして、昭和15年(1940)、後鳥羽天皇を祀る隠岐神社が創建されました。

 

 

参道を振り返る。

 

 

今も隠岐では親しみを込めて"ごとばさん"と呼ばれているそうです。

 

お参りした当日も境内の土俵で奉納子供相撲大会が開催されていて、賑わっていました。

 

祭器庫

 

庫内には神輿が安置されています。

 

 

隠岐で謳ったと和歌と共に。

 

境内裏手に回って、史跡を巡ります。

 

後鳥羽上皇行在所跡

 

後鳥羽院が仮御所とした源福寺の跡地です。

 

配流された承久3年(1221)から崩御するまでの19年を過ごした地と伝わります。

 

 

当時から残る井戸は今も水が枯れないそうです。

 

後鳥羽天皇御火葬塚

 

後鳥羽院の遺灰が埋葬された塚です。

 

この旧源福寺境内地は後鳥羽天皇隠岐山稜として、宮内庁に管理されています。

 

 

風情ある参道を下ると、隠岐神社の脇に出ます。

 

 

参道入口には、昭和末期まで"綱掛けの松"と呼ばれる松の巨木が立ってました。

 

明治時代まで境内の目の前まで海で、船が綱を掛けて係留していたそうです。

 

御朱印

 

お参りを終えて、向かいの資料館へ。

 

海士町後鳥羽院資料館

*入館料¥300

 

後鳥羽院にまつわる資料や隠岐神社宝物を展示しています。

*館内撮影禁止

 

 

入口に展示されているのは、"綱掛けの松"の幹。

 

配流を"遷幸"と表現している事からも、後鳥羽院への愛情と親しみを感じる隠岐。

 

専制的な政治への批判も多く、幕府に対しての挙兵も暴挙という評価の後鳥羽天皇ですが、隠岐では和歌を愛し、島民にも親しまれた天皇としてその記録と記憶が刻まれています。

 

配流の身の19年間、後鳥羽天皇には癒しや喜びがどれほどあったのだろうか?などと、想いを馳せて、隠岐神社を後にしました。

 

次回、海士町のチャリ漫遊記事です。