隠岐漫遊3日目。
島後からフェリーで1時間強、島前を構成する3島のひとつ、中ノ島に渡ります。
中ノ島は1島1町の自治体で、隠岐郡海士町に属する人口2,400人の島。
*読みは"アマチョウ"
その為、海士島とも呼ばれます。
菱浦港
中ノ島の玄関口で、観光案内所やレストラン、土産物屋が併設されています。
アシスト自転車をレンタルして島巡りです。
キンニャモニャ踊りの像
明治時代、西南戦争に徴兵された島民が九州で覚えた踊りを島に持ち帰って伝えたもので、しゃもじを持って踊るのが特徴。
港の正面には、蔵リノベ風の飲食店などが連なっています。
海伝いにチャリを走らせていきます。
小泉八雲夫婦像
NHKドラマでも話題の小泉八雲。
明治25年(1892)に中ノ島に訪れ、ここ菱浦湾にあった旅館に8日間滞在したそうです。
いたく菱浦の風景を気に入ったそうで、著作「知られざる日本の面影~伯耆から隠岐へ」でも滞在した日々の事を書き残しています。
銅像は宿泊した旅館跡地に建っています。
隠岐神社
(御祭神:後鳥羽天皇)
前回記事にした後鳥羽天皇を祀る神社です。
訪れた日も子供相撲大会が開催されていたり、お宮参りの家族がいたりと、島民の崇敬の厚さを感じました。
社前で営業していた、海士町で人気のキッチンカー、Happy Kitchen Willの唐揚げでひと息。
元力士がご夫婦で営むキッチンカーです。
この唐揚げがジューシーで衣も美味。
無限に食べられそうw
続いて、隠岐神社近くの文化財建築へ。
村上家資料館
(海士町指定有形文化財)
*入館料¥500
門前に停めてあるのがこの日にバディ。
村上家は隠岐の長者として名を馳せた名家で、後鳥羽院の世話役(兼監視役)も担いました。
格式高き式台。
破風の装飾が海街風情ですね。
主屋は明治33年(1900)の築造で、居住はしていないものの、今も村上家が所有しています。
係の若い女性が解説をしてくれました。
高ノ間
明治時代と大正時代に、皇太子時代の大正天皇と昭和天皇がそれぞれ行啓された際、村上家で御休憩された部屋です。
村上家に伝わる調度品などで装飾されています。
慶長14年(1609)に隠岐に配流となった公家、飛鳥井雅賢ゆかりの品々が展示されていました。
当時の村上家当主が蹴鞠の免状を受けるなど、交流を深めたそうです。
展示されている蹴鞠の装束は、調査による証明はされていないものの、相当の文化財級価値があるそうです。
山や海岸から運ばれた様々な岩の庭園。
隠岐神社周辺から島の北端へ向かいます。
田園風景を抜け、農村集落を抜け、丘を越えて走ること20分。
田んぼの中に佇む神社に着きます。
宇受賀命神社
(御祭神:宇受賀命)
*読みは"ウヅカミコトジンジャ"
田んぼの真ん中に伸びる参道。
風景に魅了されつつ、参道を進みます。
古代からの自然崇拝を感じる雰囲気。
総社・水若酢神社、一の宮・由良比女神社と並ぶ、「延喜式」の名神大社という格式を持ちます。
拝殿
宇受賀命はこの地にのみ伝わる神様。
創祀や由緒は不詳ですが、不詳だからこその歴史の深さを感じます。
古代からの土着神なのでしょう。
御本殿
(海士町指定有形文化財)
大正6年(1917)造営の隠岐造の御本殿。
悠久の時を経た歴史と雰囲気に浸り…
この空間に訪れられた事に感謝。
時刻は12時半、港に戻ります。
30分程で港に帰着して、フェリーを待ちながらランチです。
船渡来流亭
塩麹漬け唐揚げ定食
唐揚げとビールの最高さたるや。
寒シマメ漬け
シマメは隠岐の方言でスルメイカの事で、旬の冬場のものを寒シマメと呼ぶそうです。
ユッケ風で、漬けイカと卵黄、紫蘇にワカメが最高の味わい。
イカだけを味わい、混ぜて食べて、〆はご飯に乗せて…美味しい幸せ満喫。
ところで、
従業員は全員地元の学生?な感じでした。
観光案内所も同じで、行政主導の雇用施策なのでしょうね。
島の若者なのか、本土の若者なのか…いずれにしても、中ノ島の観光や雇用に注力する姿勢が垣間見れて、とても良い風景でした。
ご当地マンホール
キンニャモニャ踊りのデザインです。
15時過ぎ、菱浦港を出航。
西ノ島へ向かいます。























