鶴岡市街巡り第二弾。

 

三の丸跡地の致道博物館に続き、本丸跡に鎮座する庄内総鎮守へ。

 

庄内藩主・酒井氏を祀るお社です。

 

◆荘内神社◆

大鳥居

 

大手門跡に建つ巨大な神明鳥居。

 

 

明治4年(1871)、廃藩置県により廃城となり、敷地内の建造物は全て破却され、城址は鶴岡公園として整備されました。

 

濠だけが鶴ヶ岡城の面影を残しています。

 

 

大手門跡から伸びる参道。

 

 

青空にはためく日の丸を仰ぎ境内へ。

 

 

訪れたのは7月上旬。

 

6月下旬から8月上旬まで行われる、えんむすび七夕祭の飾りで華やいでいました。

 

手水舎

 

紫陽花で埋まる手水鉢。

 

拝殿

<御祭神>

酒井忠次公 (初代)

酒井家次公 (二代)

酒井忠次公 (三代)

酒井忠徳公 (九代)

 

明治10年(1877)、庄内一円の人々の願いにより創建された歴代藩主を祀る神社です。

 

徳川の世が終焉し、明治という新時代を迎え、社会制度も価値観も大きく変わっていく中、藩政時代を偲び、かつての領主を慕う想いが創建させた荘内神社。

 

明治初頭、各地で藩主を祀る神社が城址に建てられましたが、それを今も変わらず崇敬している地域は素晴らしいと思う私です。

 

先祖や歴史を重んじる風土ですね。

 

 

社殿の造営を手掛けたのは高橋兼吉。

 

庄内の擬洋風、寺社建築は高橋兼吉あって。

 

御本殿

 

初代藩主・酒井忠次は徳川四天王の筆頭として知られる武将で、元服をした時から徳川家に仕え、常に家康を支えた最大の功労者。

 

69歳で京都で死去し、知恩院に眠ります。

 

二代藩主・忠次は後に越後高田に移封され、三代・忠勝の時代に"米の国庄内"の基礎が築かれます。

 

九代・忠徳は財政難を救った中興の祖として、大正時代に合祀されました。

 

神庫

 

校倉造の神庫。

 

天満宮

(御祭神:菅原道真公)

 

社殿を囲む玉垣と濠の間に鎮座しています。

 

寶物殿

 

平成10年(1998)に開館した宝物館。

 

 

酒井家から奉納された宝物や人形類が展示されています。

 

 

御朱印

 

鶴ヶ岡城跡(鶴岡公園)

(続日本100名城・日本さくら名所100選)

 

鶴ヶ岡城の前身は鎌管時代に大泉氏が築いた大宝寺城で、戦国時代に武藤氏の居城となりますが、上杉氏と最上氏の激しい争奪戦の後、天正16年(1588)に上杉景勝が手中に収めます。

 

 

関ヶ原の戦いの後に最上義光の領土となり、慶長8年(1603)に鶴ヶ岡城に改称されます。

 

元和8年(1622)、お家騒動で最上氏が改易され、酒井忠勝が入城、近世城郭へ大改修をします。

 

大寶館

(鶴岡市指定有形文化財)

*入館無料/内部撮影禁止

 

大正天皇御即位を記念して大正4年(1915)に建てられたシンボリックな擬洋風建築。

 

 

物産陳列場や図書館として利用された後の昭和63年(1988)、鶴岡ゆかりの人物資料館となりました。

 

近くの藩主の菩提寺にもお参りします。

 

鶴ヶ岡城の南西、裏鬼門へ。

 

大督寺

(宗派:浄土宗)

 

元和8年(1622)に酒井家が庄内入封の際、元の領地だった信州松代から遷されたと伝わる寺院。

 

学校給食発祥の地碑

 

明治時代、僧侶が貧しい子供の為に寺小屋を設け、弁当を支給した事が学校給食の発祥と言われています。

 

御本堂

 

御本堂奥には初代藩主・酒井忠次とその妻・碓井姫の位牌が安置されているそうです。

 

酒井家墓所

*非公開

 

門から覗くと、鳥居が建つ墓所がありました。

 

19代当主は荘内銀行を経て、庄内地方の振興に注力する荘内藩という会社を設立するなど、今も鶴岡で活躍されていて、この墓所もクラファンや寄付を通じて一般公開を目指しているそうです。


酒井家の手腕は健在なようですね。

 

ご当地マンホール

 

大宝館と市の花・さくらと市章・鶴のデザイン。

 

次回、旧藩校の風景を送ります。

 

 

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