壇上伽藍から蛇腹路を抜けてすぐ。

 

高野山の本坊、金剛峯寺に着きます。

 

金剛峯寺の寺号は空海が経典「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜経」から名付けたもので、元来、高野山全体を指すものでしたが、明治時代以降、この本坊の事を指すようになりました。

 

本坊とは、総本山などの管理・運営を司る僧房で、最高責任者である管長が詰める施設の事。

 

◆金剛峯寺◆

(世界遺産・国指定史跡)

 

橋を渡り緩やかな坂の参道へ。

 

 

モミジに囲まれた参道。

 

紅葉もさぞかし美しいのでしょうね。

 

正門

(国指定重要文化財)

 

文禄2年(1593)再建。

 

皇族と一部の重職の僧侶以外は右手のくぐり門を使っていたそうです。

 

 

門から振り返る。

 

主殿(本坊)

(国指定重要文化財)

 

文久3年(1863)の再建です。

 

金剛峯寺の前身は、文禄2年(1593)に豊臣秀吉が母の菩提を弔う為に創建させた青巌寺。

 

明治2年(1869)、高野山総本山金剛峯寺に改称されました。

 

大玄関

 

欄干付き階段が設けられた式台。

 

皇族と重職僧侶のみが使用出来ました。

 

 

屋根の上の桶は天水桶と呼ばれる消防装備です。

 

ところで、高野山は落雷や失火、放火で幾度となく大火に見舞われています。

 

山の寺院ゆえ、一度火災になると消化が難しかったのかも?

 

 

外国人による寺社破損が心配な昨今、防火・警備を万全にしてもらいたいものです。

 

 

右手の小玄関は上位職僧侶が使用しました。

 

一般僧侶は裏口のみの使用だったそうです。

 

内部見学は右端の入口からになります。

*拝観料¥1,000

 

本坊は主殿・別殿・奥殿から成り、主殿の各広間には狩野派を始めとした見事な襖絵で飾られています。

*内部撮影禁止/庭園は撮影可

 

*購入した図録の写真(別殿の襖絵)

 

また、昭和9年(1934)建立の別殿には昭和期の日本画家、守屋多々志の鮮やかな襖絵が使われています。

 

 

別殿から砂と石の庭園を見る事が出来ます。

 

蟠龍庭

 

昭和59年(1984)、弘法大師御入定1150年事業として造園された、日本最大級の石庭です。

 

砂が描く線と波、石の配置…深く深呼吸。

 

庭園に面して建っているのが奥殿。

 

 

奥に見える門は勅使門。

 

鐘楼

(国指定重要文化財)

 

元治元年(1664)の再建です。

 

元は青巌寺のものでした。

 

経蔵

(国指定重要文化財)

 

延宝7年(1679)の寄進です。

 

類焼を避ける為、主殿から離れた位置に建てられています。

 

 

拝観を終え、西側の門から出ます。

 

 

後白河上皇や後醍醐天皇といった歴代の天皇や皇族、藤原道長ら貴族、そして、平清盛や北条政子、豊臣秀吉や徳川家康といった武家が厚く崇敬した高野山。

 

それだけ空海が説いた高野山真言宗が人々の心に響く魅力があったのでしょう。

 

そして、

 

そのご利益にあやかろうとする権力者達。

 

それは強大な力を寺院に与える事となり、時にその力は抗争を呼びます。

 

その結果、織田信長により、延暦寺は焼き討ちに合い、ここ高野山も1,500名を超える僧侶が処刑される事となります。

 

 

本来、人の心と命と魂を救うはずの寺院が血生臭い戦の場と化す。

 

歴史を振り返れば振り返るほどに、人類の悲しき性を思い知る…

 

続いて、徳川家の御廟へ向かいます。