和歌山県漫遊3日目。
高野山を目指しながら、一の宮と名刹にお参りします。
和歌山駅を8時台に経ち、JRで東へ。
県北東部、近畿圏有数の農業地と知られる、かつらぎ町に向かいます。
45分程で目的地の笠田駅に到着。
<旅の行程>
1日目:和歌山
2日目:紀三井寺→湯浅→黒江→和歌山
3日目:かつらぎ町→粉河→高野山
4日目:高野山
駅からコミュニティバスで田園風景の中を抜けて30分、社頭に着きます。
(コミュニティバスは1日5便)
◆紀伊国一の宮 丹生都比売神社◆
(世界遺産・国指定史跡)
*読みは"ニウツヒメジンジャ"
3社ある紀伊国一の宮の1社で、高野山とも深い繋がりがある古社です。
また、「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として、世界遺産にも登録されています。
そして、私にとって、これで近畿地方の一の宮を全てお参りした事になります。
(全国では94社参拝済で残り15社)
外鳥居
田園風景の中で映える朱の両部鳥居。
感動を胸に抱き鳥居をくぐります。
輪橋
見事な反りを魅せる太鼓橋。
慶長年間(1596〜1615)、淀殿の寄進です。
鏡池
輪橋が架かる神池。
小島の祠は弁天様?
中鳥居・祓橋
雨上がりの瑞々しい緑の中を進みます。
その名の通り、橋の下を流れる小川で禊をして御神前に向かったのかもですね。
今も隠れ里の様な雰囲気が漂う境内。
高野山の麓、標高450mに位置する境内は高野山への入り口で、高野山参詣前に丹生都比売神社に参拝する事が習わしでした。
楼門
(国指定重要文化財)
<御祭神>
丹生都比売大神 (第一殿)
高野御子大神 (第二殿)
大食津比売大神 (第三殿)
市杵島比売大神 (第四殿)
創建年代は不詳。
一説では、神功皇后の三韓征伐の際に祀られたと伝わります。
丹生都比売大神は天照大神の御妹神。
水神とされていますが、"丹"は朱砂(朱色の水銀)を表す事から、水銀採掘を生業としたこの地の氏族の神様とも見られています。
水銀採掘で栄えた氏族がその枯渇により農民となり、神様も水神としての性格を強めていった…?
因みに、丹は古来、魔除けの力があるとされ、寺社を朱色に塗るのはそれに由来します。
楼門は明応8年(1499)の建立。
高野御子大神は丹生都比売大神の御子神。
大食津比売大神と市杵島比売大神はそれぞれ鎌倉時代に、氣比神宮と厳島神社から勧請されました。
拝所から奥の御本殿の屋根が見えます。
空海が高野山金剛峯寺を開く際に、丹生都比売大神が神領を譲ったとする、"空海への土地譲り伝説"が残っていて、高野山開山に深い関わっていた事が窺えます。
そして、丹生都比売神社は高野山の総鎮守となり、真言密教の守護神としても崇敬されました。
境内を振り返る。
また、白と黒の犬を連れた狩人に化身した高野御子大神が、空海を高野山に導いたという話が「今昔物語」などにも描かれています。
水銀採掘で栄えたこの地の豪族が空海を招き入れ、援助しながら共に高野山を開き、今も残る一大宗教都市を築き上げた…そんな歴史浪漫に思いを馳せて。
御本殿(第一殿〜第四殿)
(国指定重要文化財)
春日造の御本殿は室町時代の造営。
右から第一殿という配列です。
左端のお社は若宮。
大食津比売大神と市杵島比売大神を勧請した行勝上人を祀っています。
緑萌える芝生と藤棚。
佐波神社
(御祭神:三沢明神)
明治時代に地区の諸社を合祀したものです。
緑に包まれた美しき楼門。
境内裏手に回ってみます。
大峯修験者の碑伝(石造五輪卒塔婆群)
(和歌山県指定有形文化財)
鎌倉時代末期に山伏が建てた碑です。
境内を出て、田園風景の中を少し歩きます。
一面に広がる美しき日本の原風景。
貧女の一灯お照の墓
農道から少し丘を上がった所に佇む祠たち。
養父母の冥福を弔う為に、自分の髪を売って高野山に灯籠を献上したお照という少女の墓です。
お照はここに庵を結び、養父母を供養しつつ生涯を終えます。
その灯籠は今も奥之院で"貧女の一灯"として明かりを灯しているそうです。
境内に戻り、鏡池から輪橋を望む。
神々しく神秘的な光景を目に焼き付けて…
御朱印・御守り
近畿地方の一の宮を巡り終えた達成感を胸に。
時刻は12時。
バスで駅に戻り、次の目的地へ。
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