どこか遠くの出来事という感覚に慣れてしまった皆さんへ。

 


私たちは幼い頃からテレビというものを見ています。現在の子もテレビだけではなく、もっとコンテンツは増えました。

それによって無意識にも、私たちはリアルに起きている目の前のことを、どこか遠くの景色のように感じる術を身につけてしまいました。

例えば、今あなたはこのブログを読んでいますが、このブログの内容や、目の前に語りかけている書き手がいるということは、あなたにとってどれだけリアルな現実でしょうか?

当然、このブログからは私の姿は見えません。息遣いも聞こえません。あなたに向ける視線も感じません。

しかし、あなたはこのブログを読んでいる。ここに書かれている「生の文章」を見ている。なのに、どこか遠くの出来事のように見えませんか?

今、ブログを読んでいるあなたの目の前には、このブログしかありません。それこそが今この瞬間を生きているということですが、そこにリアリティは本当にあるでしょうか。

目の前にある自分の人生のリアルが、どこか遠くの出来事のように感じるこの感覚。

これは無意識に培われたものです。

私たちはそのようにして、目の前にあるリアルをリアルな現実として生きつつも、感覚的には遠い出来事のように思えてしまいます。そして、それで済んでしまうのです。

では聞きますが、
目の前にあるリアルを、遠くの出来事のように眺めていて、どこか実感のわかない瞬間を積み重ねていて、ともすればスルーしながら生きていて……

であるなら、私たちはいつ、目の前をリアルな「自分の人生の出来事である」と実感し、本当の意味で受け入れることができるでしょう?

「目の前に起きている出来事が、すべてあなたのために起きていることなんだ」という真実を、きちんと持っていますか。

それとも、その主体性は、取り戻さなければならないほど遠くに行ってしまっているでしょうか。

テレビの前で歌っている歌手が、あなたのために歌っているということが実感できますか?

つまらないCMさえ、あなたに語りかけているんです。

近所にあるコンビニが、あなたのためにあるんだということが分かりますか?

地球は、あなたが生まれたからこそ存在しているということが分かりますか?

 

あなたが生まれていなければ、地球など “ないに等しい” のです。

分かりやすく言うと、どこか遠くの銀河の、とある星に住んでいる宇宙人の心配など、私たちはしません。つまり、そんな星は「存在しないに等しい」のです。 

なら、あなたが生まれたからこそ、地球の存在価値があるわけです。生まれていなければ、無いことと大して変わりません。

タイトルの問いかけを改めてします。

自分の人生をいつ生きますか?
ありますよ、目の前に。いつ「それこそが自分の人生だ」と、目の前の1秒を抱き締めますか?

今、目の前のこの瞬間は、いまも「これこそが、あなたの本当の人生である」ということを常にあなたに投げかけています。

 

しかし、私達はそれを自ら遠くにおきます。そして、自分の人生には何もないかのような孤独や寂しさに悲しむという、おかしなことをするのです。

私たちは長い人生の中で、来る日も来る日も、毎日を積み重ねていますが、なぜ毎日、「日」が「来る」のでしょうか。何のためのループでしょう?

それは、あなたに何かを気づかせるためのメッセージを含んでいることに気づきますか?

 

 

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