Twitterは、なぜか僕はやり方がわからないので「移動なう」と書けないのだが、移動してるときに思うこと書いておこうと筆を取りました。


考えてみたら、僕は様々な疑問を自分に投げかけて生きていて、常に「いままでこうだと思ってたものは、違うのではないか?」と考えるのが好きです。そもそも探求が好きなのです。というか、暇なんです。


仕事はしてます。ただ、僕は23歳の頃から仕事ばかりしてきたので、仕事が早いので暇ができてしまうんです。


例えば、よく「感謝する」なんて言葉があります。実際に、感謝してみます。でも、これはなんか違う気がするんです。


ありがとうという定型文の奥に、ほんとうにいいたい言葉が隠されてしまう感覚がします。


感謝をしたときに、その感謝の気持ちが沸き上がってくる自分の身体の部分に意識を移動してみますと(僕は、整体師の頃から、体内で意識の置き所を移動させる技を使います)「ありがとう」という気持ちが涌き出る源泉には、表面に出てる感謝の表現とは違ったやつがいるんです。


これは一体何なんだろう?と考えるんです。


そもそも、子供の頃、「ありがとう」という言葉が、果たして自分からでた言葉なのだろうか?と思います。例えば、近所のおばちゃんにお菓子をもらったときに親に「ありがとうは?」と急かされたのではないか?


確かにそんな気がします。

後付けで覚えさせられた定型文なんです。


ほんとは、僕は、

「やったー、嬉しい。おばちゃん大好き」と言いたかったかもしれない。


でも、子供だからうまく言葉が出せません。その隙に親が「ありがとうは?」を差し込んで、本音をいう機会がなかったんです。


「やったー、嬉しい。おばちゃん大好き」

ほんとは、それで良かったんです。


そんな、子供の頃でも

それくらいの語彙はあるわけですから、

今ならもっと言えるんです。


でも、この5文字でいつも片付けられてしまいます。


ありがとうを使わないありがとうもいいなー、ありがとうも使うけど、それもいいなと、いま考えてました。


いまのは単純な例ですが、

「形にならないものを、形のないままに、形にするにはどうするのか?」と、次に起こった疑問はこれです。


そんなことを考えながら「移動なう」です。

そりゃTwitterには収まりません。