幼い頃、親の苦労話をよく聞かされた気がする。

 

親が子供に何かを教えるときに「言うことを聞かなければ大変なことになる」と言われ、そのついでに自身の苦労話もされる。怒られる数ほど、苦労話もついてくるのだから「人生とは大変なものなんだなぁ」と、いとも簡単に脳にすり込まれていく。


お風呂に入らないと汚くて大変なことになる

歯を磨かないと虫歯になって大変なことになる

夜は早く寝ないとお化けが出て大変なことになる

 

とにかく、何か一つでも欠ければ大変なことになるのだから、毎日、毎日、大変である。

 

例えば、こう言ってくれたらよかった。

 

お風呂に入れば身体がいい香りになり

歯を磨けば歯がピカピカになり

夜更かしをしたら美しい星が見える

 

と、教えてくれていたら、さぞかし毎日は楽しかっただろう。残念ながら、私達はそんな夢のある教育はされていないのだ。

これに加えて、ご飯を残そうものなら、どこか遠い国の食べられない子供が飢えて死んでしまうのである。ご飯を食べるのもどこぞの誰かの命を背負わなければならない。

当然、勉強しないと大変なことになるのだから、子供の頃から、朝起きれば大変な一日が始まる。

このようにして、私達は幼いころから大変な日々を過ごしてきたのだが、感覚がマヒして分からなくなっている。そして、大人になっても大変な毎日をさも当たり前のように受け入れ「人生とは大変なものである」という思い込みを生きることになる。これが労働者教育の一端を担っている。

記憶の根底に蓄積された「人生は大変である」という記憶は、まるで断層のように私達をおびやかしている。できる限り、自身が揺れ動かされないように、断層を刺激しないように平穏を求めるようになる。いつのまにか繋がれた見えない鎖がそこにはある。

 

幼い子供の頃に話を戻すと、子供は、そんな大変なことばかり起こってもプレッシャーでしかない。そのため、そのストレスに押しつぶされないために「うまく逃げなければならない」。そうやって私達は、逃げ足だけは早くなったのだ。

 

しかし、ここで見破らなければならないのは、人生が大変だというのは幻だということだ。だが、残念ながら、脳は体験したことしか認識できない。人生は大変だと教わり、本当に大変な思いをしてきた者は、人生は大変だという事実しかない。なら、鍛えられた逃げ足を「本当の逃げ道」に向けることである。

よその大変さに囲われた世界観を打ち破るために、あなたには身体があり、足があり、行動がある。肉体をほんの少し動かし、「人生は大変ではない」という世界観に逃げる。その理想的な世界観を確実に持っているのが、世界資産家社会ということなのである。

 

「いつか行ってみたい世界の美しい楽園」を求めるなら、99%をしめる労働者社会には、どこか闇があり難しいのである。適当にいい位置を取ろうとしても、99%の労働者社会であることは変わらない。

なぜ世界がこのようなバランスになってしまったのか、長い歴史の中の事情の全ては消化しきれない。ただ大変な人生を求めてるわけではないのなら、あなたが求めているのは、無意識にもその上質な上澄みであるから、そこに行くには思い切って上質なものを求め、全力で楽な世界へ逃げたらいい。