「どうして聞かないの?」

世界資産家の恩師に学びだした当初、このように言われた。

 

私は恩師から頂いた仕事を1人で抱えて走っていて、日頃、恩師から学び、細かく指示ももらっている以上、後は行動に移し期待に答えねばと思っていた。

 

動き出したら予想外のことも起こるが、「お忙しい恩師に、あれこれ聞くのも小学生じゃあるまいし、できる限り自分で頑張らねば」と思っていた。

 

自分で工夫をする、模索をする、過去の経験に頼る。それで何か進んでいるように思った。

 

いま、その時の自分を思い出すと、クスっと笑えてしまう。世界資産家は、自分より何万倍もスケールの大きな実力者であることを分かっているはずなのに…自分がいまやろうとしている仕事が、世界資産家にとってみたら赤子の手をひねるくらいのことであるのに…私は何か大きなことをやっているのだと信じ、「見てて下さいね」などと思っていた。

 

恩師からすれば、きっと世界一のダンサーが、踊り出してまもない素人を見ているような感覚だったに違いない。「なんで聞かないのだろうこの子は?」と思って当然である。

 

現に、その時に仕事で行き詰っていたことなど、世界資産家に尋ねたら正に赤子の手をひねるように解決した。その時に「どうして聞かないの?」と問われたのだった。

 

簡単な話、「聞いては、いけない」と思っていた。幼少の頃など、分からなくて聞いたら「自分で考えなさい」と言われた経験は誰もがあるのではないだろうか。私達は、大人になるに従い自立せねばならないと信じ、分からないことは恥であると思っている。

 

この時の出来事は、その価値観がひっくり返った出来事だった。

 

恩師にこう言われた。

 

「あのね、私はあなた達より豊かで富も力もあります。ですが、そんな私でも何か困ったらすぐに父に尋ねますよ。私でさえそうなのに、あなたは、まだまだ、もっと私を頼るべきでは?私達の社会では、大人になるに従って自立しなさいという、冷たく突き放す教育はしません。大人になってからもずっと上の者が下の者に手を伸ばし、ずっと導くものです」

 

私は、教わったことをやってみて、自分でも考えてみて、どうしても分からなかったら質問するものだと思っていたが、恩師はそうではないと言う。

 

「最初から答えを聞いて動く」

 

このシンプルな言葉は、例えるなら「テストの答えを最初から聞いて、テストを受けなさい」と言われたかのように、子供の頃からの価値観がひっくり返された。

 

私達は、子供の頃から白紙を渡され答えを書く努力をさせられたために、答えを知らないくせに解けると勘違いしている。知らないことは恥であり、知らないことを知ってるかのように振る舞う。答えをもらっても、それを丸写しすることをズルく感じ、あえて間違った回答を書くほど重症である。

 

そうして「答えを聞く」というとても簡単なことから目をそらしてきた結果、「知らないことは、できなくて当然である」という重要な見落としをしている。「知らないこともできなければダメだ」と破綻した論理を信じ込んでいる。

 

それを教わってから私は、考え方を180度変えて、知らないことや分からないことは、すぐに恩師に聞いて動くことにした。

 

すると気づくのは人生は、一歩進めばその先は、白紙である。「一歩進めば白紙」これは、とても重要なことだ。「こんなにも分からないことがあるのか」と思った。私達は驚くほど何も分かっていない。知っているつもりを繰り返して、築かれた虚像はあまりにも虚しい。

 

成功した後も、成功してからの次の人生は、体験したことがない白紙だった。その時も、私は恩師から「成功した後に人がどこに陥りやすいか」など答えを聞いて進み、いまもそうして「答えを教わって」進んでいる。

 

その体験があるから、私はBPMを介して「世界資産家から教わった答え」を説明会で誰にでも話している。遠慮なく聞きにきていい、私が恩師にされたように。「自分の限界を認めたら終わり」というのは、非常に大きな間違いである。

 

私達の社会の「白紙を渡して問題を解け」という、この突き放した教育には大きな欠落がある。間違った習慣から脱出し、このブログを読まれている方も、答えを聞きにきて頂きたい。