「全体という視座」
最近
よく考えていることがあります。
それは
自力と他力
についてです。
人生が大きく動くときや
それこそ
夢が叶うときって
例外なく
他力が働いています。
だからこそ
他力を使おう
みたいな発想に
なるんだと思いますが
その場合に
できるところまでは
自力を最大限に発揮することが必要
という人もいれば
できるだけ
自力をなくしていくことが必要
という人もいます。
きっと
同じことを
言っているんだと思いますが
どう解釈すればいいのかなと
ずっと考えてきました。
そして
それのいい塩梅は
まだ見つかっていません(おい)
ただ
自力と他力という
この言葉に
かなり
惑わされていたかなとは
「ふと」思ったんですね。
ウエダミツトシです
こんにちは
どういうことかというと
自力と他力って
対立軸ではなくて
「自力」を包括するものが他力
だと思うのです。
こんな感じ
だから
基本的には
自力も他力も同じ力であって
別のものではない。
自力を他力が包括している図でいくと
この「自力」の部分が
「他力」が発動している方向と
違う方向に働いていると
うまく作動しない。
他力の足を引っ張ってしまう
みたいな感じで
自力が働いてしまっている場合です。
そういう場合は
できるだけ
「自力」をなくしていって
「他力」に
任せたほうが
うまくいくと思います。
逆に
自力と他力が
同じ方向を向いていると
自力を最大限に発揮することで
それが
他力にも影響を与えますから
より大きな他力へとなっていく。
そんなイメージです。
これだと
「自力をなくそう」と言っている人と
「自力を使ってこその他力」と
言っている人との間に
矛盾が生じないように思いますが
いかがでしょうか。
対立軸として捉えてしまうと
自力を使おうが使うまいが
他力は別の力となってしまうので
「僕の場合は」ですけど
うまく解釈できませんでした。
自力をも含む大きな力が「他力」で
その方向性が
逆を向いているのか
それとも
一致しているのかの違いが
上記に書いた
「自力をなくせ」と言う人と
「自力を最大限使え」と言う人との
違いかなと思いました。
それでいくと
「自分が、自分が」となっている状態だと
むしろ
できるだけ
「自力」を弱めていった方が
全体としての動きは
スムーズになるような気がします。
これが
「我をなくせ」ということかなと。
対して
自分の思いが
全体の流れと一致しているときは
自分が持っている力を
十分に発揮した方が
全体としての動きも
大きくなると思うので
実現のスピードは
早くなると思います。
ここで大事になってくるのは
「私が」という感覚と
「私たちが」という感覚の違いかなと
思います。
これまでは
「私が」といったような
小さな自我みたいなものが
好き勝手に
バラバラに動いていたので
大きな動きにならなかったという側面が
あると思っています。
これが
今度は
「私たち」という感覚になることによって
それぞれの特性を発揮しながら
全体として調和する流れに
なっていくといいと思いますし
その方が
大きな力が働きだすと思います。
人間の体ひとつとっても
同じことが言えると思うのですが
肺が
「オレも体全体に血液を
循環させたい!」
と言い出したら困りますよね。
肺には
肺としての役割があって
それに適した構造になっているわけで
それをしてくれているからこそ
全体としての体が
保たれている。
このように
自力と他力って
調和することで
より大きな力になっていくように
思います。
そのためには
「我が我が」という意識から
「私たちが」という
もっと大きな
全体としての視座が
必要になってくるのかなと思いました。
スピリチュアル界隈だと
「宇宙にすべておまかせ」
みたいに言われることが多いですが
これは
宇宙にすべておまかせして
自分は何もしなくてもよくて
自分が望んでいるものは
宇宙がすべて用意してくれる
という意味ではなくて
「私」から「全体」へという
「視座を高くしなはれ」
という意味かなと思うのです。
全体としての調和が取れている状態で
自分にできることを
やっていく。
そうすることで
全体としての動きが
ダイナミックになっていって
それが結果として
自分の願いが叶う流れになっていく
みたいなイメージです。
「自分だけ」といったような
狭い視野ではなく
「自分も含んだ全体」として
捉えていくことで
人生はよりスムーズに
なっていくのではないでしょうか。
人生がうまくいかないときっていうのは
たいていの場合
「小さな自分」が
全体の流れに抵抗している状態だと
思います。
逆に
人生がうまくいってしまうときっていうのは
大きな
全体としての他力の流れに
身をまかせて
それに抵抗していない状態と
言えるのではないかと思います。
それが
他力を発動させるということであり
夢が叶ったり
願望が実現したり
信じられないような奇跡を
体験することに
つながるのではないかと思いました!
自力って
他力の一部です。
別のものではないと思います。
その中で
自力が
狭い視野で
「こうしよう」と思ったことに邁進すると
他力がうまく発動しないです。
逆に
視座を上げて
全体としての流れに
抵抗しなくなると
自力も使いながら
他力がスムーズに動くので
現実化のスピードも
上がるという風に考えてみると
「なんで、こんなにうまくいってしまうんだろう」
という状態に
近づけるのではないかと思います。
最後に
この「狭い視野」から脱して
全体としての視座を持つために必要なのが
怖れではなく愛を選べ
ということかなと。
突然
抽象度がMAXになってしまったのですが
そのMAXじゃない。
突然
抽象的な話になってしまったので
「??」
となる人も
いるかもしれませんが
小さな自分というか
「自我」は
怖れに基づいて判断・行動しますが
全体としての意識は
愛に基づいて
判断や行動がなされるので
「愛で選ぶ」と
自ずと
全体としての判断に沿ったものに
なると思います。
自分で書いていて
それがわからんのじゃい!
ともなっていますが
「怖れで選ばない」ということは
よくわかるので
それをしなければいいって感じです。
焦って何かをしない
不安だからって準備しすぎない
心配だからって見張らない
こんな感じなので
簡単でしょ?
自力だけではなく
全体としての他力にゆだねて
人生を大きく変えたい場合は
怖れからではなくて
愛を選ぶことで
全体に近づいていけますよ、きっと。
知らんけど。
僕には
一瞥体験はないですから
説明はできないですし
体験に基づいていないので
わかったように言っても
説得力がないんですけど
きっと
そうなんだろうなと
考えていたことを
言語化してみました。
なんとなくでもいいので
「わかる!」という人は
コメントいれてみてちょ。
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