大和郡山市役所前に架かる百寿橋の両端には、お城の形をした石像がのっていました。郡山城は、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の舞台になります。
戦国時代にあまり興味がないけれど、豊臣秀長を演じるのは仲野太賀さんなので観てみようかな。

 

 

 

 

「秀長さんまるっとマップ」も作られて、盛り上げる準備万端でした。

 

 

ゆるやかな坂を歩いていると、石垣が見えてきました。ここからは階段を登って天守台へ。撮るのを忘れて、石垣の写真はこれ1枚しかありません… 

以前は崩落の危険があったため、2013年から石垣の調査・修復と天守台展望施設の整備が行われたそうです。

 

 

■史跡 郡山城跡
郡山城の築城は、筒井順慶が筒井から郡山に移った時にはじめられた。天正13年(1585)8月には、豊臣秀吉の弟秀長が郡山城に入城。秀長は紀伊、和泉、大和の三カ国百万石の太守・大納言として城の大拡張工事を行った。壮大な高石垣は荒々しい野面積みで、寺院の礎石、庭石、五輪塔、石地蔵などが用いられている。(転用石材)
大和郡山市観光協会 郡山城跡案内絵図より引用
 
 
見た感じ、戦国時代の野面積みというのはわかったけれど、ほんとうにいろんな石を寄せ集めて造ったという石垣でした。
 
城址会館の展示資料より
 
 
みんなが覗き込むので見てみると、なんとお地蔵さんがひっくり返った状態でそのまま石垣に使われていました。安土城の石段にも石仏がいくつか埋まっているとテレビで観たことがあったので、この時代は何でもアリだったのかな。
 
 
天守台からのパノラマビュー
秀長の時代に城下町は発展し、その後も外堀ができて城は広がりました。松平氏、本田氏などが城主を務め、江戸中期からは柳澤氏の時代が約150年続いたそうです。明治時代になり城郭は売却され、県立学校などが建てられました。

西側
学校の体育館っぽい建物、曲輪跡など広々
 

東側

 

景色の中に気になる建物を見つけました!
天守台を後にして、向かいます。
 
 
再建された朱塗り(黒く見えますが)の極楽橋

 

再建された追手門

 

 


城址会館(旧奈良県立図書館)

明治41年(1908)に、日露戦争の戦勝記念として興福寺境内に建てられた。昭和43年(1968)に、郡山城跡に移築会館した。設計は橋本卯兵衛。木造2階建て。
 
お寺のようでもあり奈良ホテルも連想するような建物です。正面に立つと建物の両側が写真に収まらず、両端が欠けてしまいました。遠くから見ると入母屋造に千鳥破風が目立ってましたが、近くで見ると唐破風や鬼瓦の存在感がありました。
 

 

 

 

 

外壁は漆喰の白色と木材の焦げ茶色のコントラスト。縦長窓や細めの勾欄は、寺院建築とは違う印象でした。

 

土日祝は見学可で、ボランティアガイドさんのお話を聞きながら見てまわり、老朽化のため見学は1階ホールのみでした。

 

 

外観と違って内部は洋風です。

 

 

いろいろお話し聞いてるうちに、写真を撮るの忘れてました。ドアノブの位置は低いのに天井はとても高く、装飾少なめでシンプルな空間でした。

 

設計者の橋本卯兵衛が関わった建物は、他にも奈良市と橿原市に現存しているそうです。

 

仏教美術資料研究センター(旧奈良県物産陳列所)/奈良市 関野貞設計・橋本卯兵衛施工 

明治35年(1902)竣工

以前、奈良国立博物館近くで門越しに見えて気になっていました。

 

 

今井まちなみ交流センター「華甍」(旧高市郡教育博物館)/橿原市 橋本卯兵衛設計 写真お借りしました

明治36年(1903)竣工

重要伝統的建造物群保存地区になっている今井町に残る。

 

並べると規模はそれぞれ、造りもあちこち違いますが、兄弟姉妹のように見えてきました。100年以上前の木造建築が3つも、比較的近い場所に残っているのは貴重なことだと思います。

 

 

■柳沢文庫

城内には柳澤藩の諸記録、郷土史料などを保存する施設もありました。

入館はせず、紅葉がきれいだったのでパチリ。

 

 

全景写真お借りしました

 

 

今では大和郡山といえば金魚、のイメージです。

その金魚養殖は、約300年前に甲斐から入城した柳澤吉里の頃に始まったそうです。明治維新後は、職を失った藩士や農家の副業として盛んになったというから、柳澤様様ですね。

 

 

3月下旬から4月初旬に開催される「お城まつり」の頃は、お城周辺の桜がきれいなので「来てください!」とガイドさんが宣伝していました桜

 

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