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4月に、嵐山にある福田美術館で「木島櫻谷 画三昧の生涯」を観た時に、この日本画家が住んだ家が特別公開されることを知りました。
 

 

 

 

京都モダン建築祭 でも公開された建物ですが、年に数日間しか見学できないので、雨の中(めちゃ降ってた)北野白梅町まで出かけました。

 

大正2年(1913)築の、和館・洋館・画室の3棟は、京都市指定文化財に指定されており、現在は公益財団法人の櫻谷文庫が管理しています。

 

 

案内の方がおられますが、この日は「櫻谷さん」という人物を伝えるお話がメインなので、建築についての詳細はわかりませんでした。

 

和館から順にみていきます。

 

1階 玄関入って左の部屋

 

簡素な床の間、曲がった床柱や竹を使った棚がユニーク。

茶室としても使われていたのかもしれません。

 

 

雨の日にぴったり。季節に合わせた掛軸。

 

1階 足踏みミシンがレトロでいい味

 

カルタや本、下駄にそろばん?

細かいものはじっくり見ずに撮ったので、何かわからないものも混ざってます。

 

 

1階 南側和室

 

南に向いて、机が置かれていました。

光を入れるために、天井近くまで障子が入ってます。

 

机上、左の箱は虎屋さんのお菓子箱。ここに和菓子を入れて届けてもらってた、なんてうらやましい。

右には、5本のエジプトタバコが残されていました。

甘党で愛煙家、お酒は飲まなかったそうです。

 
 
 

1階 《画三昧》を再現した北側和室

 

正確には、もう少し上からの角度ですが、絵に描かれた机は実物。

同じ部屋には画道具の棚があり、乳鉢や絵具が入ったビンでしょうか?たくさん見えました。「森永チョコレートキャラメル」の大箱にも、甘党なのがバレてます。

 

下段の封筒には、櫻谷と関係の深い「泉屋博古館」の文字が見えました。

 

 

 

ふたつの部屋の間には、東山三十六峰を表わした欄間。

真ん中の廊下は、後から作ったものだそうです。

 

 

櫻谷についてのお話をうかがいました。

 

30代で文展連続最高賞を手にし、竹内栖鳳らとともに京都で人気がありましたが、いろいろ言う人がいたのでしょう。《寒月》制作後に、にぎやかな御池両替町から、衣笠と呼ばれるこの地に転居しました。

 

当時の衣笠は、周辺に竹林や田畑が広がる自然豊かで、絵の題材がいくらでもある環境だったことから、土田麦僊、堂本印象、菊地契月らも移り住み「衣笠絵描き村」と呼ばれたそうです。

大正15年(1926)、櫻谷は生前、つぎのような言葉を残しています。 

 

    

すべて、のっぴきならぬ、やむにやまれぬ心からの要求で思うだけ腹のふくれるだけ描けばそれでよい。人が褒めても笑ってもどうでもよい。世間の毀誉褒貶を心外に置く事こそ作画の本意であろう。

 

ただ絵が好き、描きたいだけ!

もろもろ煩わしくなって、画三昧の生活を送るようになったのでしょうか。

 

 

和館の2階へ。

 

 

広い和室に、作品がたくさん並んでいました。

写真多めになります。

 

 
 
 
畳みに並べられた多数の扇面。美術館ではないので、間近でみられます。
植物、動物いろいろ。つばめ、ウシ、カメなどかわいい。
 

 

箱入り百貨店の団扇が、おしゃれで涼し気。

 

 

2階は、襖を開けると大広間になる構造でした。竹を横に通した欄間が斬新。

 

 

 

 

孫のもも子さんにと、準備していた優美な婚礼衣装。

仕立てた打掛に、直接、金泥や銀泥で梅の木を描いたといいます。折鶴を描いた振袖や帯も… しかし、もも子さんの花嫁姿を、不慮の事故で亡くなった櫻谷が目にすることは叶いませんでした。

 

現代になって、櫻谷の玄孫(孫の孫)にあたる娘さんが、婚礼で着用されたというお話を取りあげた雑誌も並べられていました。着てもらえてよかったなぁ。

 

 

一旦外へ出て、台所も見学しました。

窓が大きく雨の日でも明るかったです。

 

 

 

 

次は、収蔵と展示のための洋館。

シンプルな外観ですが、櫻谷がデザインしたところもあるそうです。

 

 

 

 

2階へのカーブした階段。

手すり代わりに、腰壁上部に溝がありました。

 

天井が高く、ここは作品の展示室として使われていたそうです。

兜などもあり皐月の設えでした。

馬がとても精巧でびっくり!櫻谷作ではなかったです。

 

 

 

 

通っていた商業学校が自分に合わないと感じた時、画家になろうと思うきっかけになった雑誌『少年園』。経済や技術のように芸術を生業にしてもいいんだ、と絵の道に進む背中を押されたそうです。

 

伝記書『前賢故実』は、歴代天皇をはじめとする歴史上の人物を、肖像つきで紹介した歴史画の見本、のようなものだったとか。とても分厚いんですけど!

 

 

 

白い戸襖が寂しかったのか、あちこちに蕨の絵。

 

 

腰壁に竹の変わった意匠があり、天井も折り上げになってます。

いろいろ話を聞きながらなので、ちゃんと見てないところもありました。

 

会期終了しましたが、泉屋博古館東京でライトアップ木島櫻谷Ⅱが開催されたように現在も住友家と櫻谷の関係は深く、住友財団が作品の修復をてがけているそうです。

 

 

ガラス窓の内側に、分厚い木の扉が付けられているパターンは初めて見ました。

 

 

 

 

 

 

北側から見ると瓦葺きで、あまり洋館という感じはしませんね。

 

 

 

あともう少し、最後は画室へ。

 

かなり広い敷地のなかに、畑やテニスコートがありました。

敷地の奥へ進むと、画室が見えないくらい樹木が茂った場所が見えてきました。

 

《角とぐ鹿》に描かれた楓の木。

 

 
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《角とぐ鹿》

 

 

 

画室入口

 

外観が隠れてしまっています。なぜか南 三条の道標。

 

 

広さ80畳の画室。

絵画制作や弟子たちの指導にあたった場所で、現在は各種教室として地域の人に利用してもらっているそうです。

 

 

 

 

 

ここも高い所まで窓があり、自然光をとり入れた設計でした。

 

モニターに、櫻谷が孫たちと戯れる姿がを映したフィルム映像が流れていました。タバコをくわえながら笑顔で画室前を歩く様子に、ほんとうにここに暮らして絵を描いていたことを実感し、もっと長く生きていれば… などを思うと切なくなりました。

忘れられていたという画家に、光があたるようになってよかった。

 

銀閣寺近くには橋本関雪の白沙村荘がありますが、画家が暮らした建物を見学できるわけではないので、貴重な機会だったと思います。

 

 

 

 

*7月6日まで開催中 福田美術館  
 
前期展示のレポ

 

木島櫻谷旧邸、公開日などについてはこちら