コパン フロアマネージャー
芳賀裕子 事務局 統括
生田目由美さん
の プロフィールを
勝手に妄想してみました。
***
生田目由美
旧姓 幾田由美(いくた ゆみ)
曽祖父 幾田源太郎(いくた げんたろう)
茨城県北部の豪農であった。
幕末 水戸藩の天狗党が逃げる時に
手助けをする傍ら
幕府軍にうまく取り入り
明治維新の混乱もうまく渡り、
周囲一帯の親玉的存在になった。
なので、幾田家はいまでも
茨城県北部では
周囲に一目置かれる
かなり大きな名家。
その長男 幾田正一(いくた しょういち 由美さんの祖父)は
父 源太郎の築いた富と地位を生かし、
終戦後、 茨城の闇市を
裏で一手に操るような
ほとんど法律スレスレなこともやっていた。
しかし、
彼は、東京との太いパイプも持っており、
そのツテで
茨城北部から、東京に就職した若者も
多かった。
単なる金儲けではなく、
茨城の地と人を愛し、
貢献したいと思っていたからであろう。
NHKの朝ドラ「ひよっこ」の主人公のモデルとなった
島田トメも、彼の紹介で東京に職を得たのは
全国的にはほとんど知られていないが、
地元では知らない人はいないというほど
有名な逸話である。
その息子
幾田俊朗は しかし、
法律スレスレを渡り歩く
大きな富の力を使う という
祖父 父に反発して家を出て
教職員免許を取り、
地元の中学校の教員となる。
そのときに同じ教員仲間として知り合ったのが
真田まゆみ (さなだまゆみ 生田目由美さんの母)。
二人は結婚し
長女 由美を産む。
俊朗 つまり、由美さんの父親 は
実家 幾田家と
仲が良いと言えないとはいえ、
断絶したわけではないので
ときたま、小さかった由美を
実家に連れていったこともあった。
両親の住む
普通の家とちがい、
木造の大きな門
アスファルトの敷き詰められた
30台は止められそうな大きな駐車場
ヒノキの一枚板に
黒々と毛筆でかかれた
「幾田家」
の
巨大な表札
その向こうの
和風の大きなお屋敷。
まだ小さい由美には
ここは
「絵に書いたような
ヤクザの親方の家」
に見えたのであった。
当時の映画
「仁義なき戦い」を
うっすらと見たことがあった由美にとって
それはまさに、
「ヤクザの頂点の
親玉の家」
と勘違いしても
仕方なかったであろう。
小学校高学年にもなれば
それはたんなる子供の勘違いと
頭ではわかっていたが、
どこか、
「自分はヤクザの親玉の家系なのだ」という
そのような意識が
由美の態度と振る舞いに現れたのだろうか、
すでに周りから
良くも悪くも一目置かれる存在になっており、
高校に入る頃には
地元の暴走族 不良グループから
密かに
「総長」と慕われるくらいの
貫禄を身につけるまでになっていた。
そんなときに
文化祭で出会ったのが
写真部に所属していた
木村和夫(きむらかずお)
若き日の芥川龍之介
に、そっくりな和夫。
和夫や、
教職だった自分の父の影響もあり
「あねご」キャラとは手を切った由美
由美と和夫は
高校卒業後も
付き合いを深めたが
和夫は、
自分の内面を追求するあまり、
大学を中退して、
高野山に出家し、
僧職となった。
由美はそのまま卒業し
教職を得て、学校の先生となる。
その後、
現在の夫となる 生田目誠司と出会い
結婚。
生田目由美 となる。
なお、
2014年に執り行われた
祖父 幾田正一の葬儀の際には
茨城県知事 北茨城市長および市議
水戸藩天狗党の子孫などが参列したため
国道6号および国道349号は
まれにみる大渋滞となったが
誰一人、苦情を言うものは
なかったという。
幾田家が今に到るまで
いかに慕われていたかが良くわかる
エピソードである。
***
偉大なる幾田家の
歴史でした!
繰り返すようですが
フィクションです ^-^ ;;
幾田家(そんなものないが)
のみなさん
許されて!!
はがゆうごはんラボ Infomation
<茨城開催>
12/6(水) はがゆうアフタヌーンティーの会
1/10(水) はがゆう新年会inはがゆう亭
<全国出張>
11/27(月) 千葉 あるまま農園のライブキッチン
12/ 5(火) 東京 ラクレットの会
12/14(木) 茨城 はがゆうパン祭り(子育て広場コパン)
12/19・20(火・水) 岐阜
1/13(土) 東京 ラクレット新年会
はがゆうごはん電子書籍発売中!
私の料理がおいしい理由リンク集
100レシピ 目次
facebookは がゆうごはんらぼグループ


