日本人の体力と栄養 | 成功報酬制 万能スポーツ整骨院 

成功報酬制 万能スポーツ整骨院 

日本でここだけ!オンリー1 スポーツ障害に限らず、お気軽にどうぞ!

6/29(日)は高御位神宮の大祓の神事に行ってきました。

初めて牛頭磐~

鞍岳 山頂のお大師さん 光森神社 お稲荷さん お不動さん 天之御柱天壇 の掃除とお祓いをしてきました。

掃除用の水など20kgほどの荷物を担いでの登山は結構こたえましたが、今まで年輩のHさんが毎月大阪から来て一人で荷物を担いで山頂まで上がりいつも掃除やお祓いしてきた事には頭が下がります。


それと、たくさんの登山客が来てましたが、掃除などしていると、

(代わりにお掃除してくれて)
「ありがとうございます」

と言ってくれるのがちょっと嬉しかったです。




今後の私の役割がなんとなくわかったような・・・

ちょうど先日こんなのを見てたし・・・

日本人の体力

明治期までの日本人が、今と比べればとてつもない体力を持っていたということは、当時日本を訪れた外国人の残した多くの文献に記されている。今回はその中の幾つかを紹介してみたい。

まずは、ドイツ帝国の医師・ベルツの手による「ベルツの日記」から。

ある日東京から110km離れた日光に旅行をした。当時のこととて道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたという。しかし二度目に行った際は人力車を使ったのだが、なんと前回よりたった30分余分にかかった(14時間半)だけで着いてしまった。しかもその間は一人の車夫が交替なしに車を引き続けたのだった。

 普通に考えれば、人間より馬の方が体力があるし格段に速いはずなのだが、これではまるで逆である。この体力はいったいどこから来るのだろう。ベルツは驚いて車夫にその食事を確認したところ、「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」という答えだった。聞けば平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食。もちろん肉など食べない。彼からみれば相当の粗食だった。

 そこでベルツは、この車夫にドイツの進んだ栄養学を適用すればきっとより一層の力が出るだろう、ついでながらその成果を比較検証してみたいと、次のような実験を試みた。「ベルツの実験」である。

 22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人に従来どおりのおにぎりの食事、他の1人に肉の食事を摂らせて、毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを走らせた。

 然るところ肉料理を与えた車夫は疲労が次第に募って走れなくなり、3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきた。そこで仕方なく元の食事に戻したところ、また走れるようになった。一方、おにぎりの方はそのまま3週間も走り続けることができた。

 当時の人力車夫は、一日に50km走るのは普通だったという。


明治以降、おかしな栄養学が日本に入ってきて、戦後なんかは日本人を弱体化するためや、経済的な戦略で牛乳やお肉を大量生産、大量消費してもらうため、私からみたら、おまえら頭おかしいキチガイちゃうか~とトンデモない栄養学が一般化してしまったわけです。

映画の一部分ですが、この動画をみると世界の仕組みがよくわかりますよ


中学や高校でもこういうのを社会の授業や保健の授業で教えてくれると私は普通の整骨院としてやっていけるのですが・・・

ついでにこんな道徳や歴史の勉強も

大祓祝詞

高天原に神留坐す 皇が親神漏岐 神漏美の命以て 
八百萬の神等を神集へ集へ賜ひ
神議り議り賜ひて
我皇御孫の命は豊葦原の水穂の國を
安國と平けく所知食せと事依し奉りき
如此依し奉りし四方の國中と
大倭日高見の國を安國と定奉て
下つ磐根に宮柱太敷立 高天の原に千木高知りて
皇御孫の命の美頭の御舎仕奉りて
天の御蔭 日の御蔭と隠坐て
安國と平けく所知食む國中に成出む 天の盆人等が
過犯しけむ雑々の罪事は
天つ罪と畔放ち 溝埋 樋放ち 頻蒔
串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪ごとを
天つ罪と法別て 國つ罪とは
生膚断 死膚断 白人胡久美
己が母犯せる罪 己が子犯せる罪
母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪
畜犯せる罪 昆虫の災ひ
高つ神の災ひ 高つ鳥の災ひ
畜仆し 蠱物爲る罪 許々太久の罪出むか
如此出は 天つ宮事以て大中臣
天つ金木を本打切 末打断て
千座の置座に置足はして
天つ菅曽を本刈断 末刈切て
八針に取辟て 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ

掛巻も綾に畏き 大御祖 元津 天津 高津
御柱の大神の命以ちて
此世を永久に立給ふ
國常立の大神を初め 素盞鳴大神 大物主大神 少彦名大神等
天の岩戸を押し開き 天の村雲掻別けて
再び表に現れ給ひ
天が下 四方の國々
神々の青人草の過犯しけむ
曲事 積み気枯れ有らんをば
神裁きに裁きて 祓戸四柱の大神等共に
祓ひ給ひ清め給ふと宣る

天君再臨 霊界粛清 祓い給い 清め給う (三唱)

如此乃良らば 天つ神は 天の磐門を押披きて
天の八重雲を伊頭の千別に千別て 聞食む
國つ神は 高山の末 短山の末に上坐て
高山の伊穂理 短山の伊穂理を掻別て 所聞食む 如比聞食てば
罪という罪は在らじと
科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹掃ふ事の如く
大津邊に居る大船を舳解放ち 艫解放ちて
大海の原に押し放つ事の如く
彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて打掃ふ事の如く
遺る罪は在らじと
祓ひ給ひ清め給ふ事を 高山の末
短山の末より佐久那太理に落多支都 速川の瀬に坐す
瀬織津比咩と云う神 大海の原に持出なむ 如此持出往は
荒盬の盬の八百道の八盬道の盬の八百會に座す
速開都比咩と云ふ神 持可可呑てむ 如此可可呑ては
氣吹戸に坐す 氣吹戸主と云う神 根の國 底の國に
如此氣吹放ちてば
根の國 底の國に坐す
速佐須良比咩と云ふ神 持佐須良比失ひてむ 如此佐須良比失ひてば
今日より始めて 罪という罪は在らじと
祓たまへ 清めたまふ事を 天津神 國津神 
八百萬神等共に
平げく 安らげく 所聞食と申す


軒先用の小さな茅の輪も初めて作りました、最初はうまく縒れませんでしたが何とかできました


次の高御位神宮の祭事は7/6(日)10時半~の月次祭です。
登山客の方も気軽に御参り下さい。