いつもこの方のブログは、優しく心に染み渡ります。
このお話しについては、少し知ってほしい事があって、今回リブログしてみました。
知って欲しい相手は、
あ、私はいつも自分のことすごく褒めているから大丈夫。
と思いながら、色々なことに悩み苦しんでいる。そんな人にです。
私こそが、そんな人でした。
私可愛い(*^^*)
私天才(°▽°)
私優秀( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
なんてものすごく自惚れながら、苦しみの気持ちにとらわれていました。
優劣の中でなんとか優に認定されたいと、足掻き苦しんで生きていました。
多くの人は自己評価が低く、そんな自分を自覚して苦しんでいます。
そんな人には、上記のブログは本当に特効薬で、そんなに自己卑下する必要はないんだよって、スッと救われる気持ちになれると思うんです。
でも、それが自覚できなくて、自分自身の痛みに強いモルヒネを打って
私は痛くない、痛くない。
って麻痺させた痛みを恍惚状態に変換しているようなヤバい人には、先ほどのブログのような話しは何の光明も導いてくれないのです。。。
私が、ずーっと、そうでした。
私可愛いの裏には、小さな頃に握りしめた、私不細工が隠れていた。
私天才の裏には、私はこの家では役立にたてないが隠れていました。
私優秀の裏には、優秀ということにしておかないと存在できないと思うほどの、強い劣等感が隠されていたのです。
だから。
そんな人に、
あなたは素晴らしい存在なんですよ。
と声をかけても、表面上は自分でも素晴らしいと自覚しているテイにしてあるため、
そんなこと知ってる。
としか、思えない。
心の奥深くに、その言葉は染み込んでいかないんです。
そんな厄介な人が、この世の中にきっと、私以外にも居るんじゃないか。
もし居たのだとしたら、きっと、これはわかりやすく自己卑下をしている人よりも救いが無いんじゃないか。
自分のことを思った時、そう感じたらいてもたってもいられませんでした(~_~;)
だから、もし、自己肯定感が高いはずなのに人生が苦しい、という人がもしこれを読んでくれているのならば、ここに導かれたのだとしたら。
その自己肯定感は、本当のものなのか。
本当の自己肯定感を持っている人は、苦しい気持ちにはなりにくいのではないか。
そんなことをほんの少しでも疑ってみることが、苦しさからの解放の第一歩なのかもしれないと。
書かずにはいられませんでした。
だって今、このブログを、本当に自己肯定感の高い人が読めるわけはないのですから、ね。