岩屋外務大臣は、日本は中華文明を学んでできた国であると言う。

 

 

 


確かに極東アジアに位置する日本列島は、四大文明の一つ、黄河文明(BC1600年頃~)を発祥とする中華大帝国の影響と恩恵を受けてきた。

しかし、「文明」の定義の範疇から外れる縄文時代は、それよりもはるかに古くから続き、その流れを汲む古代出雲国が存在したことは古代史から葬り去られ、ほとんどの歴史家は認めていない。

天皇の歴史に於いては、第9代開化までが古代出雲国の王権であり、その拠点であった京都丹波の出雲大神宮に於いて、朝鮮半島出身の第10代崇神天皇(「神武東征」物語のモデル)に国譲りして成立した大和政権が日本列島の王権の始まりであると推察する。

以前、京都丹波の出雲大神宮の御神体山を訪れた際に、ここに残る縄文時代の気配を感ずることができた。

 

 



だから、日本列島には中華文明の影響とは無縁であったこの古代出雲国があったということが重要である。

強大な中華文明の歴代王朝は周辺諸国を冊封体制下に置く。日本列島も例外ではなく、当然その中華脅威とどのようにして向き合うかというのが、大和政権成立以来の最大の課題であった。

その過程に於いて中華王権と対等であろうとしたのが、聖徳太子であり天武天皇であった。

古代史研究家の小林恵子(こばやしやすこ)氏の説によると、天武天皇は、高句麗出身の勇猛な武将で本名は淵蓋蘇文(えんげそぶん)。高句麗と日本列島を行き来しながら唐との戦いに勝ち、大唐帝国の高宗を恐怖させた。高句麗滅亡後に日本に渡来し、唐の配下となって冊封を望む天智天皇(中大兄)と対立。《 天智(中大兄)天皇の本名は、翹岐(ぎょうき)で、百済最後の王である義慈王(ぎじおう)の弟。 》天武(淵蓋蘇文)とは、聖徳太子が高句麗でもうけた実子。聖徳太子は、西突厥(にしとっけつ)生まれの英雄、達道(タルドゥ)であるという。


天皇家の菩提寺である泉湧寺(せんにゅうじ)では、大唐帝国の配下となり冊封を望む天智を祖として、中華の下僕となることを忌み嫌った天武及び古代出雲系血脈を除外する……それが天皇の歴史の根幹にある「思想」であることはここで指摘した。

 

 



私たちが学校で習ってきた日本史は、以上のように中華冊封体制といかにして向き合ってきたのかという史実が欠落・捏造され、縄文以来の感性が隠蔽されている。

岩屋外務大臣「日本は中華文明を学んでできた国」発言に対して違和感を持ちながらも明確に反論できない理由でもある。

また、中華冊封体制下に入ることをよしとしてきた南朝鮮(韓国)との根本的な相違でもある。