こんにちは、dekoです。

 

久しぶりの更新になりました。

 

まとまったお休みがないとブログが書けなくなっています。

 

気長にお付き合いくださると嬉しいです目がハート

 

 

* * * * * *

 

さて、

 

最近の私、

 

あの(どの?)行動の遅い私が、

心配性で引っ込み思案で恥ずかしがり屋のせいで動けなかった私が、

 

思いついたら、気になったら、すぐに行動しています。

 

 

 

夫が「スマホは画面が小さいのでタブレットが欲しい」と言っていました。

「絶対に必要だってわけじゃないんだけど」と言いながらも商品をリサーチしていました。

 

私も、それを聞きながら、「どうするかねー?」と考えていました。(我が家の大蔵大臣は私なのです。今なら財務省か。)

 

でも、必要なら買っちゃえばいいじゃん、予算あるし、と思ってポチッとしました。

 

型落ちだけど最後の一台で、お手頃で買えたようで満足です。この物価高の世、迷ってたら値上がりするよね?
 

無事にChromebookを手に入れた夫はご機嫌です。
暇を見つけては触っています。私も嬉しい。

 

 

 

いい買い物をしてご満悦だったのに、

今度は20年選手のエアコンがいきなり壊れました悲しい

がーん、タブレット買ったばかりなのに不安

 

夕方に急に温風しか出んくなって、その日に閉店間際の電気屋さんに駆け込みました。
近所に大手の電気屋さんがあるのです。(我が家の環境に感謝です)

 

最も安いタイプのエアコンは売り切れていたけど、定価より3万円引きで売られていたモノをゲットできました。

 

取り付けも2日後くらいにはできました。

 

型落ちでもなかったのに、なんで安かったんだっけ?
説明してもらったけど、理由は忘れましたー(笑)

 

来年度からは省エネ基準が厳しくなって、エアコンもさらに値上がりするとのこと。

 

あれ?
結果、タイミング良かったのかもですニコニコ

 

 

 

そんなこんなで、

お盆休みに入り、市の広報紙に目を通していたら、たまたま職員の募集が出ていて、なんと応募締め切りがその日の17:00までじゃぁないですか!

 

私、まだ今の職場で働こうと思ってるけど、5年契約なのであと2年半の命なのです悲しい

 

次の仕事見つかるかなぁって頭の片隅にはあったからか、即応募していました。

 

今はなんでもオンラインで完結するのでありがたいですニコニコ

 

でも、ほんと急なことだったので、エントリーシートの入力に3〜4時間かかっちゃったんじゃないだろうか?

 

お盆休みでよかったです。

 

 

 

きっと今までの私なら、

 

タブレットなら様子見して、

 

エアコンなら、次のお休みの日まで待って電気屋さんに行って、

 

応募だったら、「今日までだから、めんどくさい」って言って、

 

諦めたり、先延ばししたりしていたと思うんです。

 

 

 

これは自分の感覚に従えているってことなのか?
分からない、分からないんですけど、

行動することが少しずつ怖くなくなってきているみたいです。

 

でも、全部すぐに行動に移してるかっていうと、

 

「宝くじ買っとこう」と思ってたのに忘れて販売終了してたり、

 

「クーポンを使おう」と思ってたのに期限切れになってたり、

 

っていうのもあるんですよ。

 

あ、これらは行動としては怖くないことですね。

 

と、いうことは、

 

私は『少し怖いなぁ』
(高額なお金を使う・新しい挑戦をする)

 

って思うことに対する行動を、あえてしているということなんですね。

 

怖いをやってみる

 

怖いけど、それをやり続けていると、怖いを乗り越えるハードルが低くなってる気がします。

 

ちょっとばかし怖いことをやってみると、結果、タイミングバッチリなこと多いよ。

 

image

夏の海はキラキラしてサイコーじゃんね

.........

涼しい室内から眺めるぶんにはね

みなさま、お体にお気をつけて

 

 

 

こんばんは、dekoです。

 

今週も、
お疲れさまでした。

 

 * * * * * *


久々に、

次男が学校を欠席しました。

未だに、"明確な体調不良ではないと学校を休んではいけない"っていう価値観が私の中にこびりついてんだなーって笑ってしまう。

前時代的なわたし。

反射的に反応して、嫌だなーって思います。

だけど、

子どもが学校を休む、という現象の中に、「ある」を見ている私もいます。

まずは、次男が自分の体調の変化をちゃんと感じて誤魔化していないこと。

そして、自分の気持ちを母親に言えていること。

そして、実際に学校を休む為に、母がOKを出しやすいように条件を提示して交渉していること(笑)
(学校は休むけど、英語の問題集のここからここまでやると言っていました)


「ある」に気づいたら、

学校を休むことより、次男がちゃんと成長している事実の方が私の中で大きくなりました。

この子は大丈夫なんだなっていう信頼感もありました。

苦しみの渦中にいる時は、気づきにくいけれど、丁寧に自分の気持ちに向き合い否定しないでいると、それを続けていくと、自分に対して、子どもに対して、誰に対しても、信頼感が出てきます。

自分に思うことは相手に思うことですからね。

問題が起きないから、安心。
なのではなくて、

問題があっても、向き合えている。
だから、大丈夫だと思えるのです。




こんばんは、dekoです。

 

少しだけ、
心をゆるめていきませんか?

 

 * * * * * *

 

過干渉、自己否定、理由の分からない生きづらさ、

を経て、

今の私は、自分を大切にしたいと思っています。

好きかどうかは分かりません。

ただ、こんな私も捨てたもんじゃない、と思えるようになってきました。

ここまでくるのに、半世紀もかかってるなんて…。

もっと早く分かりたかったな、と思いますよ、ホント。

でも、20代の私は自己否定にまみれて生きるのに必死だった。

30代は、家族を守るのに精一杯だった。

40代は目の前の課題をこなすのに精一杯だった。

きっと、今だから見える景色もあるんだろうなって思います。

私は今、

『私はダメな人間じゃなかった』

という場所まで来ました。

それは、私にとって遠い遠い道のりでした。

半世紀かかったけれど、

ようやくここまで来られました。

そして、この道のりはまだ続いています。

これから先は、自分を責めるためではなく、

もっと自分を知るための時間になっていくのだと思います。






こんばんは、dekoです。

 

今日のあなたは、
どんな1日でしたか?

 

 * * * * * *

 

昨日の続きです。

 

 

 

 

親からの過干渉を受けて育ってきた私ですが、

 

ずっと、親の言いなりでいたら、

 

今度はいきなり、

 

「いつまでも親に甘えていてはダメだ」

 

と言われたのです。

 

 

 

ふざけんなよ、と思いました。

 

甘えさせたのはそっちだろう、と。

 

 

自分の都合で手を出して、自分の都合で手を引くなんて勝手じゃないか、と。

 

 

 

それでも私は、

 

親の言う通りに、自分で何でもできる人にならなくちゃ、と思いました。

 

 

 

でも、無理ですよ。

 

だって、自分で考えた経験がないんですから。

 

自分で決めた経験もない。

 

失敗した経験もない。

 

だから自信がない。

 

どうしたらいいのか分からない。

 

動きたくても動けない。

 

 

 

本当なら、

 

分からないなら、分かる人に聞けばいいだけです。

 

ただそれだけのことだったのに。

 

私はそれすらできませんでした。

 

分からない自分を見せるのが恥ずかしかったからです。

 

弱い自分を見せれないから、人に頼れない。

 

頼れない私は、ひとりで強くなろうとしました。

 

そして、どんどん孤独になっていきました。

 

 

 

私は長い間、自分自身のことを

「親に頼ってばかりの人」だと思っていました。

 

でも、それは、親が先回りをしていただけでした。

 

むしろ、困った時に人に頼るという経験をしてこなかった。だから大人になっても、人に頼れないのです。

 

 

 

本当に強い人は、誰にも頼らない人ではなくて、

 

分からない時に「分からない」と言える、

 

困った時に「助けて」と言える、

 

失敗した時に「失敗した」と言える人なのです。

 

 

 

つまり、

 

私は、無理に完璧な人になろうとしなくていい。

 

ありのままの私で大丈夫だと思える私になればいいのです。

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは、dekoです。

 

一日の終わりに、
心にも深呼吸を。

 

 * * * * * *

 

人に頼みごとをするのが苦手です。

 

断られると傷つくから。

 

だからなのか、逆に人から頼まれると断ることができません。

 

 

 

本音は断りたい。

 

 

 

それは私の仕事じゃないよ、とか。

 

私に頼まなくても、あなたにもできるでしょう、とか。

 

毎回私に聞かなくても、他にも人はいるでしょう、とか。

 

そんなことを思う時もあります。

 

きっと私は頼みやすいのでしょう。

 

だって、本当に無理な時以外は断らないのですから。

 

でも、そんな状況が続くと、

 

まるで自分が都合のいい道具みたいに扱われている気持ちになります。

 

雑に扱われたようで嫌なのです。

 

 

 

だけど私は知っています。

 

本当は私自身が、自分を雑に扱っているのだということを。

 

嫌だと思っているのに引き受ける。

 

疲れているのに無理をする。

 

自分の気持ちより相手を優先する。

 

そんなことを繰り返しているのですから。

 

 

 

そしてもう一つ。

 

私は、自分のことを、

 

「頼みごとを断ったくらいで嫌われるような人間だ」

 

と思っています。

 

同時に相手のことも、

 

「頼みごとを断られたら、その人を嫌いになる器の小さい人だ」

 

と思っています。

 

改めて文章にしてみると、

 

私は自分にも相手にもずいぶんと失礼なことを考えていますね。

 

断る前から、勝手に相手を悪者にしているのですから。

 

こんな態度でいることの方が、よほど嫌われそうです。

 

 

 

 

では私は、なぜこんな考え方になったのでしょう。

 

思い当たることがあります。

 

 

私はとても過干渉に育てられました。

 

親が私の代わりに考え、

 

親が私の代わりに決め、

 

親が私の代わりにやっていました。

 

 

だから、自分の頭で考えた経験がないんです。

 

自分で決めた経験もない。

 

失敗した経験もない。

 

 

過干渉の子どもは、

自分の感覚より親の意見を優先することで生き延びてきています。

 

その結果、自分がどうしたいのか、自分が何を感じているのかが分からなくなってしまいます。

 

確たる自分が育ちきらなかった私は、ただ頼みごとを断られただけなのに、まるで自分自信を否定されたかのように感じてしまうのです。

 

 

その結果、

 

もう、これ以上傷つきたくなくて、人に頼れなくなっているのです。