・函館山の頂で~・・・(笑) | 日本哭檄節

日本哭檄節

サミュエル・ウルマンの『青春』の一節、
≪ 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。≫
こそ、人生の糧(よすが)か・・・!
既に古希寸前に達した今こそ、この言葉に励まされながら、さあ、もうひと踏ん張りしてみるか・・・(笑)

 けのふ(昨日)の夜、誠後味の悪い駄文をUpして面白く無かったから、けふ(今日)は、敢えてバカ記事を・・・(汗)

 

 毎度、何を宣い出す判らない古希前ジジイの暴れ脳だが、けふ(今日)、何の脈絡も無く持ち出すのは、彼の北島三郎さんの出世曲、

『函館の女(ひと)・・・』

で有る・・・!

 

 実は・・・、このジジイは、その昔(=半世紀以上前)、この地を20歳代の前半に男ヤモメ二人で始めて訪れるまで、

『函館は山の頂上(いただき)に在る街だ・・・!』

とばかり想い込んで居た・・・(汗)

 

 ジジイに、そんな刷り込みを入れてくれたのが、小学生の頃大ヒットしたこの曲の

 

≪ 🎵は~こだて山の頂(いただき)で~~~・・・≫

 

と云う歌詞だったのだ・・・(笑)

 

 

 今、調べてみれば、発表されたのが『1965[昭和40]年』だそうだから、ジジイが小学校2年生・・・!

 

 その頃のジジイの家は、歌謡曲から、民謡、浪曲まで、何でもござれの両親の元で育ったので、オヤジが風呂でこの長男の小さな身体を擦りながら、楽しそうに唸って居たこの歌をそのまま耳に刷り込んで憶えたから、

『フーン・・・、函館って、山の頂に在るんだ・・・!』

と鵜呑みにし、野暮ったくれ男二人で訪れた初函館で、初めて函館の街を眼にし、

『ヘ―・・・、函館の街は海沿いで、山は街を見下ろす展望所だったんだ・・・!』

と気付くまで、ずっとこの歌詞を信奉して居た訳で・・・(汗)

 

(画像は、lets-see-japan.comより拝借)

 

 後から考えれば

『函館は港町・・・』

なのだから、山の頂に在る訳が無いのは常識なのに、育ちが霧島の山の麓で海から遠かったジジイは、そんな常識すら気付かなかったって訳だ・・・(汗&笑)

 

 と・・・、ジジイが、何の脈絡も無く突然『サブちゃん』を持ち出したのは、同じサブちゃんの大ヒット曲に『兄弟仁義』と云う曲が有るのをご存知の方は多いと想うが、この曲の歌詞の最後に有る、

 

≪ 🎵ひとりぐらいは こういう馬鹿が 居なきゃ世間の 目はさめぬ・・・!≫

 

と云うフレーズがずっと頭にこびり着いたまま、これも、もう60年以上を過ごして来て居るのだ・・・(汗)

 

 

     『兄弟仁義』

 

   親の血をひく 兄弟よりも
   かたいちぎりの 義兄弟
   こんな小さな 盃だけど
   男いのちを かけてのむ

 

   義理だ恩だと 並べてみたら
   恋の出てくる すきがない
   あとはたのむと かけ出す露路に
   ふるはあの娘の なみだ雨

 

   俺の目をみろ 何んにもゆうな
   男同志の 腹のうち
   
ひとりぐらいは こういう馬鹿が
  居なきゃ世間の 目はさめぬ

 

 これまた、序でに調べてみれば、『函館の女』が昭和60年11月の発売なのに対し、この『兄弟仁義』は、それより早い同年3月の発売と為って居るから、我が家のオヤジの風呂での唸りも、コチラの方が半年早かったと云う訳だが、ジジイの頭の中では、この

『ひとりぐらいは・・・』

の方は、『🎵は~るばる』よりも若干後だったような記憶が有るんだがなあ・・・?!

 

 タダ・・・、折角、やっと授かった独り息子を甘やかさず、どうも自分の価値観を植え付けて育てたかったらしいオヤジが、ヤケに、この

『ひとりぐらいは・・・』

を持ち出し、世間の

『勢い大勢に流れる風潮・・・』

を嫌い、喩え少数派でも『自分が信じる正義』に軸足を置いて

『世間に無用な敵を創って居たこと・・・!』

だけは、末っ子長男も傍で見聞させられて育ったから、何か有る度に、このフレーズが頭を過り、つい

『独りバカ・・・!』

を演じるところは、あの頑固オヤジの

『有難く無い置き土産だった・・・!』

と、今更ながらつくづく感じる(=恨む)次第で・・・(笑)

 

 やはり、

『血は争えぬ・・・!』

と云うことだろうな・・・(笑)

 

 特に、世間が挙って

『American style is very welcome・・・!』

な時代に逆らい、

『Anti-American・・・!』

を貫き、政治も、思想はガチガチ保守なのに、何故か『反岸&佐藤兄弟派』で、まだ小学生のジジイに、

『Americaを信用するな・・・!』

と云い諭し、

『岸は、喰わせモノだ・・・!』

と云われても、どこがどう喰わせモノなのかも判らずそう云う眼で視て育ったお陰で、その色眼鏡を未だ引き摺って居るし・・・(笑)

 

 この頑固オヤジの『独善メンタリティ』で一番鮮烈に憶えて居るのは、ジジイが生まれた昭和32年は、その『喰わせモノ岸内閣』が誕生した年なのだが、オヤジは、あの『60年安保騒動(=樺美智子さん事件)』で岸内閣が退陣に追い込まれた時(=昭和35年7月)、そのNews を観ながら、まだ3歳の末っ子長男を眺めながら、オフクロに

『コイツ(=ジジイ)が生まれるのがあと3カ月早ければ石橋(湛山)内閣(=2月25日まで)だったのに、岸内閣だったのが残念だ・・・!』(=ジジイは5月20日生まれ)

と宣ったらしく、その後の佐藤内閣退陣(=昭和47年=中2)の時、それを想い出したオヤジが徐(おもむ)ろにジジイにそれを懐かしく語るのを聴きながら、産んだ(=産まされた)オフクロが横で、

『今更、何を・・・!』

と呆れて居たわな・・・(笑)

 

 

(落語のようなオチ話だがホントの話で、ココからジジイの『石橋湛山贔屓』が始まる・・・笑)

 

 まったく・・・、今から想い出しても

『実にかわいいオヤジだった・・・!』

とも云えるが、確かに

『死ぬ瞬間まで呆れたバカ(=頑固)だった・・・!』

と云えるし、その血を見事に曳いたジジイが、

『輪を懸けたバカ・・・!』

なのも納得が行く・・・(汗)

 

 尤も・・・、お陰で、このフレーズに誑かされて『バカ』ばかり演じて来たが、人生の終わり近く為ってみれば、世間の眼を醒ますような『バカ』などほとんど出来ず『微々たる小モノ』で終わり、結果、

≪ 🎵ふるはあの娘の なみだ雨・・・≫

だけが歌詞通りで、女房子供を泣かせことだけは歌詞通りって訳だ・・・(汗)

 

 今、こうして改めて聴くと、ココだけが妙に切なく聴こえるわなあ・・・(笑)

 

 と今頃悔いても、もう遅いが・・・!

 

 尤も・・・、今のこの時代、

『独りくらいのそう云うバカ・・・!』

が居ても世間の眼を醒ますことなど出来もしないが、まあ・・・、世間の眼は醒ませずとも、

『微々たる癇癪玉の音・・・』

くらいにでも成れれば善いか・・・?!

 

 と云っても、稲穂に群がるスズメの2、3羽を慌てさせる『スズメ脅し』程度にしか為らないだろうけど、それで由とするしか無いわなあ・・・(笑)

 

 などと・・・、他人様には何の殊やら判らぬ毎度の駄文にお付き合い頂いて居りましたら、申し訳有りません・・・(謝&拝)

 

【付記】

 この記事は、最初は13日の月曜日用に綴って居たのだが、途中に『燃えろ~~サナエ~~』や『京都の少年遺体発見』、『制服自衛官・自民党大会での国歌斉唱』なんてのが飛び込んで来て、結局4日遅れと為っちゃった次第で・・・(汗)