・女士道 ~鐵舟の妻・英子夫人のこと~・・・(2) | 日本哭檄節

日本哭檄節

サミュエル・ウルマンの『青春』の一節、
≪ 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。≫
こそ、人生の糧(よすが)か・・・!
既に古希寸前に達した今こそ、この言葉に励まされながら、さあ、もうひと踏ん張りしてみるか・・・(笑)

 要らぬ寄り道の深味に嵌って、抜け出せなく為ってしまって居るが、この

『鐵舟夫人・英子のこと・・・』

は、此処からが本題で、英子女は、文盲を脱し『書物』に親しむように為ると、大和の国の成り立ち神話から仏教、或いは歴史書にまで親しんだようで、その中で、当時、幕末から維新に掛けての激動期の中で、二本差しの武士たちが口を揃えて叫喚して居た

『武士道・・・』

と云うモノに、我が夫が夫だっただけに嫌でも巻き込まれ、それを女性の立場から考察していく中で、

『武士道には、二つの面が有る・・・!』

と看破するに至って居る・・・!

 

 それはそうだろうなあ・・・?!

 

 我が夫は、当初は、当然幕府を与る『徳川政権』の家臣でも幹部級の『直参旗本家』に生まれ育って居るのだから、当初は、当時吹き荒れて居た

『尊王攘夷(=派)・・・』

に与して居たはずは無いが、江戸に還って来て、剣術修行に励む中で『開明派』と云われる連中と交わる内に、

『世界情勢・・・』

と云うモノの情報も入って来る訳で、そうなると、『鎖国一辺倒』で国を経営して来た幕府の時代錯誤にも疑問を持つように為り、結果、何時の間にか

『尊王討幕派・・・』

に組み込まれて行く訳だから、何時の間にか価値観のまったく違う二つの派の

『両方を敵に廻すような事態・・・』

が身の周りに起き始め、夫が正しいのか悪いのかは関係無く、この混乱の中で『国事』に名を借りた外出に忙しい中で、鷹匠町の自宅に押し掛けて来る志士や食客を名乗る輩たちをあしらわなきゃ為らないし、時には、白刃を抜かんばかりの暴徒のような輩をあしらいながら、

『まあ、お茶でも召しあがりませ・・・?!』

と、折好く家に在った『羊羹』を茶菓に出したら、その羊羹を、抜いた刀の切っ先に刺して、英子夫人の眼の前に突き出したモノも居たと云うから・・・(笑)

 

 そりゃあ、そんな連中を相手にして居れば、自然、丹が練れて来るのも自明で、夫、鐵舟は、座禅で丹を練ったが、英子夫人は、激動期に我が家、山岡家に出入りする連中相手に鍛えられれ、言葉を代えれば、手に剣は持って居ないが、当に

『白刃の下を掻い潜っての修行の毎日で有った・・・』

と云っても善かったのでは無いか・・・?!

 

 そして、そんな中で、この英子女史は、世の男どもが、尊王も佐幕も入り乱れて

『武士道・・・、武士道・・・!』

と叫ぶ中で、『武士道』とは、何も、腰に二本を差して居る『武士』だけが持てば善いと云うモノでは無く、大和(=日本)民族全員が持って居るべき

『養いであるはずだ・・・!』

と云う境地に至って、それを、この英子夫人に云わせれば、

『Nipponの武士道・・・!』

と云うモノは、何も、世が武士が幅を利かせるように為った平安末期頃に始まったのでは無く、古くは、

『伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)の尊・・・』

の時代から、営々と創り営まれて来た

『日本人の心・・・』

に興って居るので有り、それも、戦国の世に尊じられた

『武道(=男子の闘い)・・・』

にばかり在るのでも無く、

『遍く大和民族に備わって来た価値観だ・・・!』

と説いて居るのである・・・!

 

 そして、男に武士道が有るのなら、

『女にも武士道が有る・・・!』

と気付き、その例に、そもそも、

『その男子(=武士)を生み育てて来たのは、女性では無いか・・・!』

と喝破し、

『女子(おなご)の訓育・・・』

が無ければ『武門の子』は育たない訳で、ならば、世の女性たちには、最初から、

『武士の何たるか・・・?!』

を弁えて、稚児を育てて来たから、

『武士の世は続いて来たのだ・・・!』

と仰せ有り、

『武士道が武士(=男)だけのモノで有るならば、徳川の世の終わりとともに、武士道も終わって居なければならないはず・・・!』

だが、その心根( =大和魂)は、今も厳然と生き残って居るのが

『何よりの証拠だ・・・!』

とは、至極ご尤も・・・!

 

 この論理立てが、19歳まで『いろは』も読めず、結婚後の手習いから始めた女性が、幾らか

『本も読むように為った・・・!』

くらいで宣えるような話では無かろう・・・?!

 

 英子女史は、この談話の中で、先に『男の武士道』を弁んじ、そこから起こして、この『女にも有った武士道』を総じて、

『女士道・・・』

と名付けて出版して居る訳だが、その大本のところで、維新成って30年が経った今の世の中は、西欧(=舶来)の文化が持て囃され、一気に叫ばれ始めた『女尊男卑』とか『男女同権』とかの風潮の流行りを、

『新舶来の突飛の熱に浮かされて、腰掛(=椅子)も踏台も見極めが付かず、足下(あしもと)視らずの人が見えだしました・・・』(=腰掛と踏台は、用途が違う)

と喩え、これを、

『まるで、稚児(=赤ちゃん)を火鉢の縁に座らせ、内外どっちに転ぶかを観て居るような様では無いか・・・?!』(=内側に転べば、大火傷をする・・・)

と表現して喚起を促し、そもそも男女に差異は無く、生まれ出た違いが有るのみで、強いて云えば、人間社会では

『男を骨と視て、女を肉皮と視れば善いようなものだ・・・!』

と喩えて居る・・・!

 

 この喩え・・・、今のこの『男女同権時代』が常識となった時代は兎も角として、つい30年ほどまえまで謳われ攻撃を受けた、封建時代から続いて来た

『男尊女卑風潮・・・』

への痛烈な皮肉とも取れるが、実に的を射た表現だとつくづく想う・・・!

 

 この『女尊男卑』に関しては、彼の『一休禅師』の道歌に、

 

≪ 骨かくす 皮には実に 困るもの 美人と云ふも 皮の為すわざ・・・≫

 

と云う、世の男どもの鼻の下(=おんな好き)の性癖を皮肉った歌が有るが、これと同じで、英子夫人が危惧を覚えたのは、開国維新で突然遣って来た西欧の『レディーファースト文化』の風潮に被れ、

『好い氣に為って居る若い女性たち・・・』

や、そこを狙って、鼻の下を延ばし『オベッカ』に奔る男たちへの皮肉を突いて、それを、

 

≪ 父は照る(=厳格) 母は涙(=優しさ)の 雨となり 同じめぐみに 育つなでしこ・・・≫

 

と云う歌に込め、古来受け継がれて来た

『大和撫子の心根を忘れるな・・・!』

と嘆いて居ると云う訳だ・・・!

 

 この談話自体が、当時、英子夫人を招いて開かれた『婦女子会』で語られた

『女士道・・・』

を説いた論諭を書き起こしたモノだそうだから、こうした著述に為って居るのだろうが、時代が120年降った今の時代、英子夫人の懸念は見事に当たり、男女社会に措いて、『骨』だったはずの男たちの骨格(=威厳)が痩せ細り、その痩せ細った骨に被らなければ為らない女性の『肉皮』が厚く逞しく為って居るように観えるのは、このジジイだけか・・・?!

 

 最近は、骨と骨が喰っ着いたり、肉皮と肉皮は引っ着いたり、中には、骨か肉皮か判らない人間が現れたりして居る不思議な社会も生まれて喧しいが、

『天然理真の原理(ことわり)・・・』

に立ち返れば、実に不可思議なことだわな・・・?!

 

 この『英子夫人談』に依る『女士道』には、他にも数々の

『男女の有り様(=理)・・・』

が詰まって居るが、今時、これを表せば大顰蹙を買いそうだから、この寄り道はこれくらいで終わりにして措こう・・・!

 

 最後に為るが、ジジイがこの本の中で英子夫人が宣われた言葉で、実に奥深く読んだ一行を記して措くと

≪ 女の教育は「いろは」よりお遣りよ。

 書経、詩経を空読みしても、下女の文句は読めますまい。

 月の世界に遊ばんなぞ、空事を想わんより、裏棚まわりを見歩きなさい。

 世情、世態の哲学がある・・・≫

と云う言葉が有るのだが、これは、

『基本に忠実にして、それを怠らないところに、世の中の哲学(=人間学)がある・・・!』

と云うことだと読んだのだが、この女史の眼端(=機微)は、日々の実学に基づいて居たと云うことだろうな・・・?!

 

 更に一言添えれば、この書は、『男女同等』が常識の今の時代には、『禁書』に等しいかも識れないし、最後の項では、

『女子の職業と婦姑の別居と自由結婚との是非について・・・』

と云う項目にも一言私見を加えて居るが、これなど、120年を下った今、当にそれを予言したような論説だわな・・・!

 

 鐵舟居士の言葉では無いが、この英子女史、

『偈のおそろしき女傑・・・』

だったと、つくづく感心した次第・・・(笑&汗)

 

 こんな要領を得ない駄文にお付き合い頂て居りましたら、深くお詫びを申し上げます・・・(謝&拝)

 

 それにしても、この一冊に丸二日も要し苦労したが、まあ、勉強にはなったわな・・・!