イタリア美術の書で有名な若桑みどりさん著「クアトロ・ラガッツィ」読了。

 

日本語に訳すと4人の少年たち、ということで、天正遣欧少年使節を描いた作品、と聞いていた。

キリスト教文化を研究している友人のお勧めで、彼女はこの書の土台ともなった資料のひとつ(来日宣教師が記した)「フロイス日本史」も読破している。(そちらも勧められたのだけどまだ食指が動かない。)

 

 

読んでびっくり、少年たちの見聞録というより日本史の書、あるいは論文だった。

織田信長や豊臣秀吉などによるキリスト教政策が丹念につづられ、少年使節は後半の一部に出てくるものの、日本側がキリスト教をいかに利用し、都合のいいように扱い、迫害に至ったかという推移の歴史書だった。

 

日本側の宣教師や宗教の受け入れ方には状況ごとに相当なブレがあり、大名や、異国の宗教と信者を敵視する寺院の思惑が絡み合い、複雑な様相を呈していたのがよくわかる。

 

安土桃山時代から江戸初期の歴史研究書を相当読み込んでいる若桑さん。

ただ、彼女の強みは、日本側の膨大な資料に加え、来日宣教師たちの日記を事細かに分析している点。

宣教師たちの日記なので、彼らの宗教伝播の功績に関する記述については下駄をはかせている可能性はあるかもしれないけれど、それ以外の記述は見聞記ということで、日本側の記録よりもニュートラルであることも多々ある。

 

 

それらを総合したうえで、「海を渡った4人の少年たちは若年すぎて、海外で得たものを還元するには至らなかった」という従来の説は誤りであったという見解を示している。

ラテン語の知識、海外での評価などを追っていくと、帰国後も上を目指して努力していた4人の姿が浮かび上がる。

不幸なことに、渡欧中に世の中がひっくり返ってしまい、得たものを還元する機会が奪われ、時代に翻弄された。

それでも最後まで希求の姿勢を留めることはなく、棄教者がひとり出たものの、それは迫害が始まったのちの末路。帰国してすぐに嫌気がさしたといったたちのものではなかった。

 

 

そしてキリシタン迫害を主導した豊臣秀吉については否定的な話が続く。

キリシタン大名や信者たちへの対応は、時に狡猾であり、時に朝令暮改のような振れ幅だ。

でも宣教師たちはその腹黒さを見誤り、受け入れられていると長らく信じてしまう。

それゆえ、彼らの秀吉像は、必ずしも否定的とはいえない。

けれど秀吉の酒池肉林の女狂いについてはバッサリと斬っている。

細川忠興の妻ガラシャもすんでのところで犠牲になるところだったが、機転を利かせ、うまく切り抜けることができたという。

(そのガラシャもキリシタンとして最終的には関ヶ原の戦いで自決に追い込まれるのだけれど。)

 

 

上下巻を読んでからNHK大河「豊臣兄弟!」を見ると、悪党秀吉の余韻が強すぎて、なんだかシラケてきてしまう。

ドラマと知りつつも美化しすぎ、、と。

 

ドラマの中で登場した高山右近については、本書は賛辞を惜しまない。

立派な人格者のままマニラに追放される。

 

 

そういえば、高山右近と細川ガラシャ、その2人がまつられた教会が大阪にある。

大阪高松カテドラル聖マリア大聖堂 カトリック玉造教会 だ。

(大阪カテドラル聖マリア大聖堂 という記述もあるけど本家のHPでは上の名称だった。)

 

教会が建つ敷地が名門大名・細川家の屋敷跡だったため、室内と外に右近とガラシャの絵や像があり、さらにガラシャの小ぶりなオベリスク風の碑もあった。

 

 

 

 

ガラシャの碑。

建てられたのは1950年。

 

 

 

以前触れたことがあるけれど、堂本印象画のマリア様。

堂内正面にある。

 

 

 

その両側も堂本印象の絵でー

左が:「ルソン行の高山右近」

右が:「ガラシア夫人の最期」

 

 

 

島流し後の右近:

 

 

 

細川ガラシャ、最後の日。

 

 

 

教会前にも左に右近、右にガラシャ像。

 

 

 

 

 

 

 

歴史書、と書いたけれど、論文の色合いが濃く、すんなり内容に溶け込むのに少々時間がかかった。

でも粘って読んでよかった。

様々な資料を読み込み比較したうえで、ヨーロッパ側の視点を織り交ぜた労作だ。

 

若桑さんは残念ながら、単行本として出された本書が文庫版になる少し前に亡くなられた。

追悼も兼ねた樺山紘一さんのあとがきがこれまたいい。

本を貸してくれた友人は、若桑さんのアシスタントのようなことをしていたことがある。

その彼女の話によると若桑さん、仕事をしながら机の上で亡くなられたそうだ。

 

 

 
 
 

 

 

 

・2025年11月15日のブログ:没後50年 堂本印象の壁画