こどもが3人いて
長男はかなり感情を激しくあらわに
表現するタイプだったけど
言葉で傷つけようとすることがなくて
いつも行動で感情を爆発させていました。
娘と次男はそれなりに思春期というか
親をうっとうしがる時があって
それぞれに1回づつ
クソババア
と
死ね
って言われたことあるんですよ。
たしか。
それが、わたしは本当にショックで
言われてしばらく立ち直れないくらい
落ち込んだんですよね。
で、最近はまったく言われないので
そのことを忘れていたんですが、
次男が何かわたしに
文句を言いたかったらしく
もう、お母さん、本当に
最低よ、最も低い、よ
って言ってきて。
かわいいだけじゃないですか。
娘は娘でわたしの言動に怒ると
いじわるばばあ
とか
おばだね、ほんとに、おば
とか
言ってきますが
わたし、
ばばあと
おば、及び、おばさんには
全然反応しないんですよ、心が。
多分、言葉全般がすごく好きなので
ばばあはじじいと対で
普通にじいさんばあさんのことだし
おば、及び、おばさんも
本人はまだ若いと思ってるのに
周囲から見たら十分年をとっている
という意味で娘はダメージを与えたいんだと
思うんですが
わたしの自認はおばそのものなのです。
なんなら白髪でばあさんも入る。
それで、一生懸命、
わたしに怒っていることを
伝えようとしている二人に
わざわざ伝えたんですよ。
母さんは、
くそばばあと死ね
以外はショックを受けない
でもその二つは本当に
ショックを受けるので
言わないでほしい
ということを。
言葉が好きなのはもう
なんでしょうか、
すべての経験、体験を
言語化したいという欲求があるくらい
言葉が好きです。
見たものを言語化し
言葉で聞いたり読んだりしたものを
脳内で映像化する、
この双方向の才能がわたしは
発達しているんだと思うんです。
だから、数字とか記号とか
言葉じゃないものだと
イメージが湧かなくて
たちまち理解できなくなる
というマイナスの才能もあり
まあ、手相鑑定なんて
見たものを言語化するなかでも
究極のもののような気がするので
ほんとに向いてる仕事を見付けたなあと
我ながら感心したり。
あと、若者の言葉も全部好きなんです。
面白い。興味深い。
どこから派生して、
どう変化しているのか
割と分かるものが多いので
なるほど、生きた言語って
こうやって常に変わりながら
使われていくんだなあと
感動してしまうんですよ。
多くの人の間で交わされている
文字の連なりが、
ある世代間においては
短縮されたり
言い換えられたり
または形が似てるだけで
発音は全然違う文字で表されたり。
そんなに言葉が好きなのに
自分が実際にこどもから言われたときに
ものすごくショックを受けた単語がある
ということが、
わたしとしては非常に驚きなんですよね。
文字で見ても、全然、何も感じないのに。
くそばばあと死ねなんて
ただの文字の連なりでしかないのに。
それを口にしたときの
こどもの冷たい、突き放すような、
全体の空気感がショックだったんだと
思いますが
それにプラスして
言葉は言われた相手よりも
言った本人の身体に響いているものだから
こども自身のためにショックだったのかも。
ちなみに殺すは言われたことないです。
我が家ではほぼ誰も言わないです。
虫が出たとしても言わないです。
今日の記事、もしかしたらはじかれるのかな
最近、こんなに死ねって書いてある文章
見ることないですもんね。
その場合、書き換えますけども、
言われてショックな単語としては
しねでもシネでもなく死ねなんですよ。
朝からなんちゅー記事をとも
思いますが、自分が何を言われたら
ショックで、何はそうでもないとか
知ってることってすごく自分を
守ってくれるんですよ。
世間一般に良くないとされている言葉でも
自分には全然響かないものってあるはず
だから、それを言われたときに、
相手はショックを
与えようとしてるんだろうけど
わたしはショックを受けてないな
と冷静に観察できることが。
冷静に観察して
ショックを受けていないことが分かれば
自分はその言葉を発した相手の気持ちも
受け取っていないことになると
わたしは思っているので
相手はこちらにショックを与えるつもりで
言葉を発していても
こちらは受け取っていない。
なんで今日このテーマを書こうと
思ったか分からないんですが
勝手に送られてくる
パッと見、嫌そうな言葉。
でも受け取るか受け取らないかは
自分で決められるということを
自由自在に使いこなせる未来を
今朝は創造しておきます。
