「プライドが高いよね」
そんな言葉を向けられて、胸がチクッとしたことはありませんか。
あるいは逆に、
「もっと自信を持ちなよ」
と言われて、どう振る舞えばいいのか分からなくなったことはないでしょうか。
プライドという言葉は、とても曖昧で、
使い方を間違えると、自分を守る鎧にもなり、
自分を縛る檻にもなってしまいます。
特に、真面目で努力家な方ほど、
「プライドを持つこと」と
「偉そうに見えること」の境界線に悩みやすいものです。
まず、はっきりお伝えしたいことがあります。
プライドは、本来、他人に見せるためのものではありません。
誰かより上に立つための道具でも、
自分を大きく見せるための飾りでもありません。
プライドとは、本来、
自分の内側に静かに持つものです。
自分はどうありたいのか。
どんな姿勢で生きたいのか。
何を大切にしていたいのか。
それを裏切らないための、
自分自身との約束。
それが、健全なプライドです。
一方で、他人に見せるプライドは、
いつの間にか「マウント」に変わってしまうことがあります。
自分の正しさを誇示する。
実績を強調する。
相手を下げることで、自分の価値を保とうとする。
そうした振る舞いは、
周囲の人を不快にさせるだけでなく、
実は、自分自身の成長も止めてしまいます。
なぜなら、
「私はもう十分できている」
「私は間違っていない」
という立場に立った瞬間、
人は学ばなくなるからです。
耳を閉じ、
変わる必要のない自分を守ることに、
エネルギーを使い始めてしまうのです。
ある女性が、こんな話をしてくれました。
彼女は、仕事でも家庭でも、
「ちゃんとしている人」でいようと頑張ってきました。
弱みを見せるのが怖くて、
いつも自分を強く見せていたそうです。
できないことも「大丈夫です」と言い、
分からないことも質問できなかった。
周りからは、
「自信がある人」
「しっかりしている人」
そう見られていましたが、
彼女の心の中は、いつも不安でいっぱいでした。
「弱いと思われたらどうしよう」
「できないとバレたらどうしよう」
そんな思いに、常に追い立てられていたのです。
彼女が変わったきっかけは、
あるとき、素直に
「それ、分かりません」
と言えたことでした。
勇気を出して一言伝えただけなのに、
周囲の反応は、彼女が想像していたものとは違いました。
責められるどころか、
丁寧に教えてもらえた。
一緒に考えてもらえた。
そのとき彼女は気づいたそうです。
「強く見せること」と
「強くなること」は、まったく違うのだと。
強く見せる努力は、
自分を守るための防衛です。
でも、強くなる努力は、
自分を育てる行為です。
失敗を認める。
分からないことを学ぶ。
できない自分から目をそらさない。
それらは、一見弱く見えるかもしれません。
でも、確実に人を成長させます。
プライドは、人を成長させることもできます。
「ここだけは手を抜かない」
「この姿勢だけは守る」
「嘘だけはつかない」
そうした内側のプライドは、
あなたを支え、前に進ませてくれます。
同時に、プライドは人を堕落させることもあります。
間違いを認められなくなる。
謝れなくなる。
変化を拒むようになる。
それは、プライドが
「自分を高めるもの」から
「自分を守る言い訳」に変わってしまった状態です。
もし今、
「周りからどう見られているか」
「弱く思われていないか」
そんなことばかり気になっているなら、
それはあなたがプライドを持ちすぎているのではなく、
プライドの置き場所が、少し外に向いてしまっているだけかもしれません。
プライドは、
人に見せる必要はありません。
証明する必要もありません。
自分の中にあって、
自分が納得できていれば、それでいいのです。
ここにこうして文章を書いている私に、
「強く見せるのに疲れました」
「本当は自信がありません」
そう打ち明けてくれてもいいのです。
その気持ちは、あなたが成長したいと願っている証です。
どうか、
誰かより上に立つことに、
プライドを使わないでください。
誰かを黙らせるために、
プライドを使わないでください。
その代わり、
昨日の自分より、
少しだけ誠実でいられたか。
少しだけ学べたか。
少しだけ前に進めたか。
そこに、プライドを置いてください。
強く見せるより、
強くなることに誇りを持つ。
それは、派手ではありません。
でも、確実にあなたを育てます。
プライドは、
使い方次第で、
あなたの人生を支える柱にも、
足を止める重りにもなります。
どうかそれを、
自分を高めるために使ってください。
あなたが内側に静かに持つプライドは、
誰かを不快にさせることなく、
あなた自身を、確実に強くしてくれます。
