「やられる側気持ちを知れ」
と言って教師が子供に罰を与える場面をよく見かけます。
最近では福岡の学校で勤める非常勤講師が、男子3人の襟元を絞め、一時気絶させるという事件がありました。
男子生徒が女子生徒に嫌がらせを行っているということに対する罰のようです。
「やられる側の気持ちを知れ」
と言って罰を与えることは必要ですか?
答えはノーです。
所詮、「嫌なことされた=罰を与えてもよい」という思考回路を子供に植え付けるだけです。
これは″学び″にはなりません。
たしかに″学び″には嫌がらせを行ったことによって、自らも後悔、懺悔の念に駆られるという事象が必要です。
しかし、体罰によってそれを引き出すことは、多くの場合不可能です。
教師が後悔の念を引き出すには、「評価」を利用すること。
人は誰しも、「良く見られたい」という願望があります。
嫌がらせを行った子供に対して、その行動や発言を見て「評価が下がった」というニュアンスを細かく伝えていくのが効果的です。
その為には日頃から、子供達をよく観察し、常に褒めるべきところを口頭で伝えることが必要です。
子供達に「この先生、よく見ているな」と思われなければ効力がありません。
日頃から評価していなければ、子供達は注意を聞くわけがないのです。
″加害者そのもの評価″というのでは「被害の気持ちが不在」と言われそうですが、注意説教に被害者の気持ちを持ち出すのは適切ではありません。
そもそも、加害者は被害者が嫌がり、悲しむ姿を見て優越感に浸っているわけですから。
「やられる側の気持ちを…」と言ったところで、加害者は分かった上でやっているのです。
加害者の心境は、テレビ番組であるドッキリみたいな感覚でしかありません。
武術教育研究家、小池