下谷廣小路
👆歌川広重の「名所江戸百景」シリーズより
画題は「下谷廣小路」となっています。西の本郷台地、上野台地など高台の下にあるから「下谷」と名付けられた。むろん、台地には恭しく「神田明神」、「湯島天神神」、「上野寛永寺」などが在って、その「下にある町🟰町民の町」という文化的意味合いも含んでいるのだと思う。
明暦の大火(1657)の教訓で生まれた火除地を兼ねた大通り(廣小路)の図となっている。右手は「いとう松坂屋」、大きな風呂敷包みの二人は松坂屋の手代、ズボン姿の武士、稽古社中の一行、通りに出っ張った小屋(髪結床)などが描かれています。奥(北)の方の緑は上野の森です。当時の社会風俗が描き込まれていて広重の風景画らしいと言えましょう。
「いとう松坂屋」は、名古屋の「いとう呉服店」が1768年(明和5年) 江戸に進出して、上野にあった「松坂屋」を買収し、同店を「いとう松坂屋」と改称したものです。
髪結床は、男専門でちょんまげを結う為の店。ズボンは西洋から入ってきた(ペリー来航は3年前、軍事教練の服装との説あり)もので、文明開化の頃「たっつけ」といって拡まった。
漱石に明治29年(1986)作の「乙鳥や赤い暖簾の松坂屋」(『漱石俳句集』1990年、岩波文庫)という句があります。(乙鳥はつばくろと読み燕のこと)
また
明治27(1894)年、下谷生まれの小島政二郎は、「子供の時分に見た松坂屋の美しさを思い出さずにいられない。松坂屋に限らず、白木屋でも、三越でも同じことだったが、伽藍のような建物が、暖簾の装飾を纏って、町の夕晴にドッシリと沈んだ荘厳な姿は、さながらにして商ン人のお城だった」)『俺伝』)と書いている。
上野広小路
📷右手は下町のデパート 松坂屋上野店、中央通りの奥の小さな緑は上野の森。松坂屋南口袂から撮った写真と絵の「下谷廣小路」は、同じアングルです。写真右(人の頭の上)に一つだけ映った“井桁に藤”のロゴも絵と同じです。
👆松坂屋前から「上野広小路亭」を見ています
👆赤矢印が絵と写真のアングルです
見ていただきありがとうございました🙇♂️





