昔: するがてふ(駿河町)
広重の『絵本江戸土産』に「西のほうを臨めば富士が嶺正面にして四時絶景なり、故に駿河町の名ありといふ」とあります。広重は”すやり霞”を使って富士山を誇張して表現していますが、ここから眺める富士の勇姿は、江戸随一の絶景ポイントだったと云われている。
通りの両側は「万現銀掛値無し(よろずげんきんかけねなし)」を標榜し繁盛した越後屋です。風呂敷包みを背負った越後屋の手代、買物に来た奥女中(?)一行、棒手振りなどが描かれています。
赤矢印が広重の視線です。
📙伊勢商人三井高利が本町で創業したのが延保元年(1673)、10年後に駿河町に移転して開店したのは天和三年(1683)年であった。広重が描いているのはそれから170年後の越後屋である。明治37年には、三井の三と越後屋の越をとって三越呉服店と改名、創業から343年いまも後継者が営々と商いを続けている。
今: 広重と同じ写生位置に立つ❗️
今は左が日本橋三越本店、右が三井本館。絵の富士山と違って、青いシートに覆われたビルが目に入ります。これは2028年5月末竣工予定の トウキョウトーチタワーで、日本一高いビルになるそうです。(トウキョウトーチタワー 地上62階、高さ385m )
赤矢印は、広重と同じカメラの視線です。
昔、本当に富士山は見えたのか?
最近の研究によって清水英範氏•布施孝志氏のグループは、「…ほぼ正面に富士の全容が現れた。江戸時代の地形や建物に眺望を遮られることはなかった…しかもその一部ではなく、丹沢山系からその上に屹立する富士の全貌まで、しっかりと望見できたのである」と結論している。(『江戸の景観』清水英範•布施孝志共著、鹿島出版会)
証明した(再現図)がこれです👇
(再現図)の説明: 駿河町からの富士山の眺望(画角20°)、通りのほぼ中央に富士山の全容が現れた。
上の地図、コレド室町1の裏に「福徳神社」がありますが、ここが落語でお馴染みの高級卓袱料理屋『百川』があった所なのだそうです。
見ていただきありがとうございました。🙇♂️





