昔: 愛宕下通りの雪景色

              絵はwikipanionより保存したものに改印年月を追記して転載

🖼右手の森は愛宕山で、雪の道は愛宕下通りと呼ばれた。絵の右前面は加藤家の東北の隅にあたるが、一帯は薮加藤と呼ばれ有名だったという。画題の藪小路は藪の手前にあるのだが、廣重写生の立ち位置となっており画面には登場していない。

 

画題の竹藪は、近江水口藩加藤家上屋敷にあった。流れは桜川とよばれた放水路。左の建物は伊勢の国•菰野(こもの)の大名土方家の上屋敷です。

 

竹やぶは加藤家の東北の隅にあり、明らかに鬼門である。鬼門に何故竹藪なのか? どうやら加藤家の祖である清正の朝鮮での“虎退治の故事”に由来するのではないか考えられている。“虎ノ門”だけに“鬼門の守り”に“竹“が連想されたのであろう。

 

藪小路と愛宕下通は赤丸、加藤家は四角で示しています

 

森ビル開発のビルだらけです

 

今: 大型ビルが並ぶビジネス街

絵と同じ目線で撮ったものです。加藤家は"虎ノ門ヒルズビジネスタワー"に変わりました。右への道が藪小路ですが、絵ではこの道(藪小路)は描かれていません。

 

自転車のプレートに〈虎ノ門 砂場〉とありますが、私の後ろの〈虎ノ門 大阪屋砂場〉で、蕎麦を食べることにした。

 

▼90度右向きにして藪小路を見ています…赤いポールの横に自転車

 

▼高層ビルの間で異彩を放っています

 

▼大好きな鰊そば…京風の薄い汁ではないですが、東京風の濃くてしょっぱい

味でもなく、美味しかったです。値段も手頃、1350円‼️

 

▼虎ノ門遺址

 

▼虎ノ門ヒルズ裏の憩いのスペース

 

▼真福寺…絵の中央の赤い門→今はビルになっています

 

▼蕎麦屋から400mで〈出世の石段〉です

以下は、2021/3/21アップ『芝愛宕山』からの転載です。

 

「出世の石段」(男坂)86段、下りは手摺りに頼らざるを得なかった。

 

愛宕山神社のHPによると、曲垣平九郎のほかに江戸以降、男坂を馬で登り降りにトライして成功している人として、以下の三人の名前があげられている。

 

明治15年・石川清馬(セイマ。宮城県出身)

大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)廃馬になる愛馬のために最後の花道をつくった

昭和57年・渡辺隆馬(ワタナベ リュウマ。スタントマン)「史実に挑戦」というテレビの特番で。

因みに曲垣平九郎が上ったのは、寛政十一年(1634)のこと。

岩木利夫は登り3分下り40分かけて成功した。

 

以上 見ていただきありがとうございました😊