地上天国の住民への道も一歩から

2030年まであと7年

 

 

 

 

日月神示

この道に縁ある者だけで型出せよ、
カタで良いのじゃぞ。

 

 

 

 

 

 

世界救世教の教えがやばい

~全方位ケアの型~

 

 

 

世界救世教

 

御垂示録26号

 

ー--救世教信者の年回忌は

お坊さんのほうでする必要はないでしょうか。

 

仏法はなくなったのです。

しかし仏界はあるのです。

だからこっちでできるまでは

居所がなくてはならないのです。

そこでいまはまだ必要なのです。

 

それからもう一つは、

いままでお寺ならお寺でやって

お寺参りにも行っていた者が

止めてしまうということは、

救世教が誤解されるのです。

 

ですから

いままでどおりやっていたほうが

世間体もよいし、

坊さんも喜びます。

 

 

いままでどおりしていたほうがよいのです。

私もお寺には付け届けをするし、

 

 

いままでどおりにやってますが、

やはり喜びます。

キリスト教などでは日曜に教会堂に行っても

差し支えありません。

 

 

そうすると

キリスト教の牧師も、

救世教は非常によい、

 

 

信者をとることはないからと

好感を持ちますから、

それがよいのです。

 

 

救世教は酷い、

信者をみんなとってしまう

ということになると、

その恨みの想念が多少の煩いになります。

そういうものが救世教の敵ではないので、

みんなこっちが抱擁しているものの中に

あるのですから、

良くしてやっておいたほうがよいのです。

キリスト教も仏教も、

あらゆるものが

救世教の中にあるのですから、

 

 

 

それをやっつけたり叩いたりする

ということは、

やっぱり自分の中にあるものを

やるということはないのです。

やっぱり眷属というように

思っていればよいのです。

 

 

 

「大乗愛をもって

人類を救うのが

わが世界救世教である」

 

 

 

 

ー--私の娘はミッションスクールに

行っているのでございますが・・・

 

 

 

ええ、いいじゃないですか。

 

ー-学校ではキリストを拝み、

家に帰ると観音様を拝むことがなんだか・・・

 

 

 

キリストも観音様も同じことですよ。

キリストは西洋の観音様、

観音様は東洋のキリストです。

だから、

あんたの娘さんが

洋服着たり、

和服を着たりするのと

 

 

 

 

同じだと思えばいいんです。

 

 

そのことを詠んだ歌がありますがね。

 

◆御 詠

 

観音も弥勒もメシヤもキリストも

人の姿の神にぞありける

 

 

 

 

 

ー-ー観音力、観音行、観音心について

 

観音力とは観音の発揮する力であって、

この観音力をいただけば

人間がこれを発揮することができるのは

諸君が無数の奇蹟を行っている事実によっても

明らかである。

ただその際、

人により発揮する力の強弱の差別はある。

 

観音心とは観音の大慈大悲の御心であり

その御心を心として体現することが観音行である。

特に観音心行においては

絶対に人を咎(とが)めてはならぬ。

この人を咎めるのが

一番いけないのである。

 

 

御賛歌に菩薩行ということがあるが、

菩薩とは仏教では覚者を指すのである。

この菩薩まではだれでもなれる

 

 

のであるが

如来には容易になれない。

 

 

如来も無論インドの位で、

尊者、菩薩、何々天、如来、明王という位がある。

 

菩薩行とは菩薩になるまでの行をいうのである。

 

 

観音様のことを無碍光如来とも

応身弥勒ともいうのであるが、

これは自由無碍、円転滑脱、

行き詰まることのないお働きをいう。

また応身とは、相手に応ずることで、

時により

所により

人により

あらゆるものに応じ

千変万化の行をするので

 

 

 

 

三十三相に化現されるというのも、

応身のお働きを示したものである。

 

 

であるから

観音行においては

まず応身することができなくてはいけない。

 

 

 

 

そして本当に観音行が腹に入れば

どんなことでもうまく行くのである。

 

 

観音様は一面非常に勇猛な点もあるので、

最勝如来という御名もあり、

 

 

 

また馬頭観音のお働きもあるが、

この場合は獣になられて

悪鬼羅刹を克服されるのである。

 

 

神様のことはことごとく合理的であって、

神様のなさることやお許しのあることは

必ず肯(うなず)けるべき理屈がある。

従って人間の行動も無理がないとともに

理屈が立たなくてはいけない。

しかし決して窮屈に難しく考えるのも

感心できない。

 

要するに

信仰は当然のことを

行えば良いのである。

 

 

よく「果報は寝て待て」と言うが、

あらゆることは

決して焦ってはいけない。

寝て待つくらいな、

常にゆったりした気持ち

でなくてはならぬので、

そうすれば物事がうまくゆくということで、

これも観音行の一面である。

 

 

 

ー--自己の行に対して専ら小乗的に律し、

他人に対しては大乗的に行くべきが

本当でしょうか。

 

これは大いなる誤りである。

大乗的といえば自分も他人も

あらゆることに大乗的でなくてはならぬ。

自分を小乗的に律するときは

そのため自分自身が拘束され、

働きが狭まり力が出ぬ。

 

戒律などは小乗的なもので狭い。

こうしてはならぬ、

ああしてはならぬ

と限界を作ると

進歩発展ができぬ。

 

 

要するに

何をしても良いという具合でいて、

おのずからすべてに渉って

法に外れず

道に適うようでなくてはならない。

 

明主様帰一の道

 

 

 

ー--大神、神、尊、命とどういうふうに

違いましょうか。

 

人間の一番偉いのは命と言い、

ふつう人間が死んでつける。

 

尊ー--これは生きているうちから

位のあった人につける。

例えば素盞鳴尊などそうである。

また神が人間に生まれた場合にも

尊をつかう。

 

大神ー--これは主の神を言い、

ただ神と申すときはふつうの神である。

主神は体をもたれないが

ただその表現神はある。

 

すべて神様のことは

固定的に考えてはいけない。

融通無碍である。

しかし国常立尊のような神は

大神と言っていい。

 

 

 

 

世界救世教

 

本教が

地上天国

を造る事によって、
キリストの予言は的中する

のである。

 

 

 

 

我が救世教は宗教ではなく、

 

 

宗教は救世教の一部

であるのは、

常に私の唱えている処であるが、

 

 

では一体どういう名称なら

ピッタリするかというと、

標題の如く

新世界建設事業

という名が合っていると思う。

 

 

 

 

 

 

主神は真善美完き

理想世界の実現を意図されている。

物質文明が成熟し、

人類思想の統一も可能となり、

その条件が整った今こそ

 

 

人類が理想世界実現を

目指す時である。

 

 

 

 

 

地球上に於ける一切の

支配者こそは時の神様

 

 

 

 

 

 

このメッセージがわかる人、

7人に伝わればと

 

 

 

 

 

早う誠の臣民ばかりで固めてくれよ。

神世の型出してくれよ。

時、取り違えぬように、

時、来たぞーー!!

 

 

 

 

天国の福音と真理は

普く宣べ伝えるべし

しかる後

 

世の終りも来る

と共に

天国も出現する