地上天国(ミロクの世)の住民への道も一歩から
2030年まであと9年
【コロナ特別配信】武田邦彦の怒りが爆発!
もう失う物がないからハッキリ言います…
この動画を見てくれた人だけに
特別に全てお話しします。
怒りのエネルギーが
どんどん伝播、増幅していった時に
起る現象が激闘乱舞
修羅の道には行かないように。
目覚めて争いを起こす。
それ逆ですから!
誰かを悪者にして
対立構造を生む。
それ逆行ってますよ!
言葉生まれた乱れは
言葉で直す。
ここに到達する。
これを古事記の世界でいうと
『次に其の禍(まが)を直さむと為て
成りませる神の御名は、
神直日神(かむなほひのかみ)、
次に大直日神(おほなほひのかみ)、
次に伊都能売神(いづのめのかみ)』
はい、
伊都能売神、いだだきました。
これはもう
伊都能売思想(メシヤ思想)が
だ ん だ ん 勃 興してくると
感じざるを得ません!!
怒りが爆発しそうになった時に
読みたくなる日月神示
日月神示
行は、世界中の行、
誰一人逃れるわけにはいかんぞ。
メグリ果たした者から、
嬉し嬉しになる仕組み
そなたはよく腹を立てるが、
腹が立つのは慢心からであるぞ。
よく心得なされよ
下腹からこみ上げて来る怒りは
大きな怒りであるから怒って良い
のであるなれど、
怒りの現わし方を出来るだけ小さく
出来るだけ清く、短くして下されよ。
怒りに清い怒りは無いと
そなたは思案して御座るなれど、
怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあるぞ。
そなたはいつも自分の役に不足申す癖があるぞ。
その癖、直して下されよ。
長くかかってもよいから、
根(ね)の音(ね)からの改心結構ぞ。
手は手の役、
足は足の役、
頭は頭の役、
それぞれに結構ぞ。
上下貴賎(きせん)無い事、
そなたには分かっている筈なのに、
早く得心して下されよ。
そなたはこの神ときわめて深い縁があるのじゃ。
縁あればこそ引き寄せて苦労させているのじゃ。
今度の御用は苦の花咲かすことじゃ。
真理に苦の花咲くのであるぞ。
因縁のそなたじゃ。
一(いち)聞いたなら十が分かるのじゃ。
言われん先に分かってもらわねばならんぞ。
知らせてからでは味(あじ)無いぞ。
十人並みぞ。
今度の御用は千人力、十人並みでは間に合わんぞ。
人間の目は一方しか見えん。
表なら表、右なら右しか見えん。
表には必ず裏があり、左があるから右があるのじゃ。
自分の目で見たのだから間違い無いと、
そなたは我を張って居るなれど、
それはただ一方的の真実であるぞ。
独断は役に立たんぞと申してあろうが。
見極めた上にも見極めねばならんぞ。
霊の目も一方しか見えんぞ。
霊人には何でも分かっていると思うと
大変な間違いが起きるぞ。
一方と申しても霊界の一方と現界の一方とは、
一方が違うぞ。
そなたは中々に立派な理屈を申すが、
理屈も必要であるが泡の如きもの、
そなたの財産にはならんぞ。
体験の財産は死んでからも役に立つ。
懺悔(ざんげ)せよ申しても、
人の前に懺悔してはならんぞ。
人の前で出来る懺悔は割引きした懺悔。
割引きした懺悔は神を騙し己を騙す事となるぞ。
悔い改めて下され。
深く省みて下され。
深く恥じ畏れよ。
心して慎んで下されよ。
直ちに良き神界との霊線が繋がるぞ。
霊線繋がれば、
その日その時から良くなって来るぞ。
気持ちが曲がったら霊線が切り替えられる。
第三十一帖 (二〇四)
一二三四五六七八九十百千卍
(ひとふたみよいつむななやここのたりもちよろず)。
今度は千人万人力でないと
手柄出来んと申してあろうがな。
世界中総掛かりで攻めて来るのだから、
一度はあるにあられん事になるのぞ。
大将だからとて油断出来ん。
富士の山動く迄には
どんな事も耐(こら)えねばならんぞ。
上辛いぞ。
どんなことあっても死に急ぐでないぞ。
今の大和魂と神の魂と違う所あるのだぞ。
その時その所によって、
どんなにも変化(へんげ)するのが神の魂ぞ。
馬鹿正直ならんと申してあろう。
今日あれし生命勇む時来たぞ。
十一月二十六、日月の神。
聖書
終末のしるし(産みの苦しみの始まり)
わたしの名を名のる者が大勢現われ、
『私こそキリストだ』と言って、
多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、
気をつけて、あわてないようにしなさい。
これらは必ず起こることです。
しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、
国は国に敵対して立ち上がり、
方々に飢饉と地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、
産みの苦しみの始めなのです。
世界救世教
◆浄化の法則
ア.すべての苦しみは浄化
(御論文「運命は自由に作られる」朗読後の御教え)
今読んだ通り、すべては苦しみは浄化です。
それで霊の曇りが除れるのです。
メグリなくなれば
嬉し嬉しになる仕組み
イ.穢れれば浄められる
(御論文「台風の霊的考察」朗読後の御教え)
こういうことも知っておかなければいけません。
いつも言う通り、相応の理というものは、
何でも穢れれば自然にその穢れを浄化するという、
そういうものが発生するのです。
伝染病や何かになって、
それによって掃除するのですから、
つまり言うと、
人間にそういった害を与えるようなものは、
害を与えるようなものを人間がつくるのです。
だから人間の一切の災いというものは
みんな浄化作用の道具です。

己は汚いものを溜めるから、それを掃除するものがある。
自分が苦しみ、ナンテ不運なんだろうということを嘆く前に、
自分が拵えるのですからして、誰を恨むこともないので、
まず己を恨むよりしようがありません。
今の人間はそれを知らないからして、
自分の罪を棚に上げて、
人が悪い、社会が悪い、教育が悪い、
政治が悪い、制度が悪い、と何でもかんでも
自分以外に原因があるように考える
のです。
ウ.心配も浄化作用
いろいろと心配するでしょ。
その苦痛が浄化作用なんですよ。
すべて苦痛というものは
罪穢れの浄化なんですから。
ところが、
徳を積むことによって
苦痛を受けるべき条件が減ってくるんです。
◆御 詠
如何ならむ 事も耐えて時を待つ
人こそ観音行の人なり
如何ならむ 事も堪へてさりげなく
微笑みあしらふ人となれかし
堪え難き 怒り制ゆる力こそ
観音力の顕れにぞある
◆最後の審判は世界的な大芝居
お筆先に
「いよいよ立替えが始まりても、
神に縋りておりたる者は
高見で見物を致させるぞよ」
というのがありますが、
そうならなければならないのです。
これは世界的の大芝居です。
これが最後の審判というものですが、
これは世界的の大芝居です。
その芝居を桟敷で見るように
ならなければならないのです。
2021.8.19【アフガニスタン】
米政府はアフガニスタン戦争について
20年間嘘をついてきた!
戦争を長引かせることで儲かる者たちがいる【及川幸久−BREAKING−】
どうせ芝居です。
善人と悪人との争闘ですから、
いよいよ芝居が済めばめでたしめでたし
ということになりますが、
そこで悪役が酷い目に遭って
滅ぼされるという悪役に回った者は
かわいそうですが、
ところが今度のこの大芝居は
悪役の方がずっと多そうなのです。
こっちが磨けていて
桟敷にいるようになれば、
実に面白い芝居です。
それはこれほどの劇は
とても見られるものではありません。
◆三千世界の大芝居
以前も言った通り、
恐怖時代の一歩に入ったわけでもあります。
そうなると救世教というものの発展が著しくなり、
大いに発展するわけです。
その段階に入って来たわけなのですから、
大いに働き甲斐があるわけです。
今まで抑えつけられていたのが、
その抑えつける力が弱るわけです。
今まで十回も二十回も話をしなくては
分からなかったのが、
今度は五回、六回で分かる
というような意味になるわけです。
そうかといって、
神様のことは急に目に見えるようには
現れないものなのです。
つまり何となくジリジリジリジリ
進んで行くわけです。
今年、来年、再来年というように、
年々早くもなるし、
それからはっきりしてくるのです。
とにかく今年から神様が表になった
ということは確かなのです。
そこで救世教というものは
今年から世界的に非常に知れてゆくわけです。
いわば、いよいよ舞台に上がったわけです。
今までは楽屋でいろいろ支度をしていたのが、
いよいよ支度ができたので
檜舞台に上がるということになるわけです。
やっぱり芝居と同じですから、序幕です。
これはお筆先にありますが、
「今度は三千世界の大芝居であるから、
悪の役もあるし善の役もあるから」
というのがあります。
お筆先というのは実によく書いてあります。
というのは、今まで随分教団の邪魔をしたり、
いろいろ良からぬ人が入って来ました。
ところがそういう人に「あいつは悪い奴だとか、
あいつはいけない」とか言いながらも、
結果においてはなかなか良い役をしてます。
それは悪い人間でなければ
できないような良い役をしてます。
だから本当にご苦労様と礼を言いたいくらいです。
これがちょうど、今言った、
善の役と悪の役と両方拵えてある
ということがはっきり分かるのです。
もっとも芝居でも映画でも、ああいった脚本でも、
善人ばかりでは芝居にならないので、
悪人に善人が苦しめられるという、
そこに一つの脚色ができるのですから、
なるほど芝居という意味からみると、
悪の役も要り用だったわけです。
そういうようで、
神様がやられることは実に深いです。
ですから
「あの人はああいうことをしているから悪い、
間違っている」
ということは、
とても言えるものではないのです。
そう言っている人は、
実はその人自身が悪いことをやっていて、
悪いことを言われている人は
善いことをやっているかもしれません。
お筆先に
「一生懸命、神のためと思い、
間違うていることをしている人は、
神も困るぞよ」
というのがあります。
「これが神様のためだ、これが本当だ」
と言って一生懸命にやっていることが、
案外神様のお邪魔になっているというわけです。
そこで人間、特に信者は、
善とか悪とか決めることは
大変間違っているのです。
また分かるものではないのです。
ただ、自分が善いと思うことを
していればそれでよいので、
人が善いとか悪いとかいう、
それが一番危険なわけです。
なにしろ世界人類を救う
というのですから、
開闢(かいびゃく)以来ない
大きな仕事です。
お筆先に
「大きな器には大きな影がさす。
だから器が大きくなければ
神の仕事はできんぞよ」
というのがあります。
よほど大きな器で、
要するに大局的にみるというわけです。
「大乗の善は小乗の悪であり、
小乗の善は大乗の悪である。」
ということは何事にもあります。
(昭和29年2月4日)
◆全人類を救うとしたら
一切万事世界的となった以上、
全人類を救うとしたら
驚くべき大仕掛でなくてはならない。
つまり規模が大きい程
救われる人も多数に上るからである。
以上の如き
本教の大計画を知ったなら、
何人と雖も本教を見直さない訳には
ゆかないであろう。
地球規模のドッキリ大作戦!!
もちろん神の大愛は一人でも多くを
救わせ給うのであるから、
神意を体する吾らとしては、
繰返し繰返し
筆に口に警告を与えている
のである。
◆色とりどりの教えがあって和合する
要は、真実の部分に迫ってくると、
一神教であっても、
やはり世界中で共通することを
いっている。
本物であればあるほど、
必ず共通しているのです。
日月神示が世界に広まるとは
決していっていない。
ただ「外国から早くわかって、
外国にこの神を祀るという人が
たくさん出てくるようになる」
とかは書いてあります。
このメッセージがわかる人に伝わればと
天国の福音と真理は
普く宣べ伝えるべし
しかる後
三千年分の
諸々の枉事罪穢を
祓ひ給へ浄め賜へ
を越えて
ピッカピカの
明朗清純な光明世界至る


















