地上天国(ミロクの世)の住民への道も一歩から
世界救世教
◆安心立命
『栄光』186号、
昭和27(1952)年12月10日発行
よく安心立命という言葉があるが、
これは精神的の面に限るように
世人は思っているようだが、
この考え方は大きな間違であって、
真の安心立命とは物質も伴わなくては
ならないのはもちろんである。
考えてもみるがいい、
病気、貧乏、争いの三つの災厄の内の、
たとえ一つでもあるとしたら、
どこに安心があるであろうかという事である。
俺は一生涯
病気の心配はない。
貧乏になりっこはない。
争いを起すような事もない
という自信がもててこそ、
真の安心立命は得らるるのである。
ところが
そのような三拍子揃うなど、
今の世の中では到底夢でしかあるまい。
そんな人は恐らく世界中ただの一人も
ないといってよかろう。
まず世間をみればよく分るごとく、
何事も思うようにならない。
嫌な事は次々降って来る。
好いことなどは滅多に来ない。
全くこの世の中は地獄そのままだ。
第一健康にしてもそうだ。
いつ何時病気に罹るか分らない。
ちょっとした風邪を引いても、
簡単に治ることもあれば
治らないこともあるし、
拗(こじ)らしたり大病の前兆に
なることさえあるのだから、
風邪くらいなどといって
安心してはいられない。
また医学でいっている通り黴菌は
そこら中ウヨウヨしているから、
いつ何時伝染病や結核菌が飛込むか分らない。
それがため当局でも
医学衛生を喧(やかま)しくいい、
清潔にせよ暴飲暴食をするな、
外出から帰ったら含嗽(うがい)をしろ、
食事の前は手を洗え、
食物に注意せよなど、
何だかんだと煩さい程
注意を与えている。
それらことごとくを信ずるとしたら
現代社会生活は全く
恐怖の渦の中にいるようなものである。
もちろん貧乏も争いも、
そのほとんどは金銭問題が主となっており、
その原因がまた病気であるから、
どうしても無病息災、
真の健康人にならなければ、
絶対安心は出来ないのは言うまでもない。
しかし
世人はそんなことは
到底出来ない相談でしかない
と思うであろうが、
それが立派に出来るとしたら、
大変な福音であろう。
ところが
必ず出来るのだから大したものである。
そのために現れたのが
我救世(メシヤ)教であり、
救世教を措いては
世の中に決してないことを
断言するのである。
◆信仰の醍醐味
『信仰雑話』P.17、
昭和23(1948)年9月5日発行
私は信仰の味について
世人に告げたいのである。
天下何物にも味のないものはない。
物質にも、人間にも、生活にも、
味の無い物はほとんどあるまい。
人生からこの味を除いたら、
文字通り無味乾燥全く
生の意欲は無くなるであろう。
従って
人間が生に対する執着の根本は、
味による楽しみのためである
――といっても過言ではあるまい。
信仰にも
味のある信仰と
味の無い信仰とがあるのは当然である。
ところが
世の中は不思議なもので、
恐怖信仰というのがある。
それは
神仏を畏怖し、
戒律に縛られ、
窮屈極まる日を送り、
自由などは全く無く、
常に戦々兢々たる有様で、
こういう状態を
私は信仰地獄というのである。
本来信仰の理想とするところは
常に安心の境地にあり、
生活を楽しみ、
歓喜に浸る
というのでなければならない。
花鳥風月も、
百鳥の声も、
山水の美も、
みな神が自分を慰めて下さるもので
あるように思われ、
衣食住も深き恵みと感謝され、

人間はもとより
鳥獣虫魚草木の末に到るまで
親しみを感ずるようになる。
これが法悦の境地であって
何事も人事を尽して
後は
神仏に御任せする
という心境に
ならなければならないのである。
私は常に、
どうしても判断がつかぬ難問題に
逢着(ほうちゃく)した時、
観音様に御任せする
という事にして、
後は時を待つのである。
ところが
想ったよりも良い結果を得らるる事は
幾多の体検によって明かである。
ほとんど心配したような結果になった事は
一度も無いといってもよい。
また種々の希望を描くが、
その希望よりも
必ず以上の結果になるからおもしろい。
こういう事もある。
何か悪い事があると
それを一時は心配するが、
きっと良い事の前提に違いないと思い、
神様に御委せしていると、
必ず良い事のための悪い事
であった事が判り、
心配したのが馬鹿らしくなる事さえ
往々あるので、
実に感謝に堪えない事がある。
要するに
私は奇蹟の生活者と思っている。
私が言う信仰の醍醐味とは
すなわちこの様な次第である。
(注)
逢着(ほうちゃく)、出会う事。
出くわす事。
日月神示
今までの逃れ場所は山であったが、
今度は山に逃げても駄目、
神の御旨(みむね)の中であるぞ

身魂みがけたら、
何処にいても
御用している臣民助けてやるぞ
我が名呼びて
おすがりすれば、
万里先にいても
言うこと聞いてやるぞ、
雨の神、風の神、岩の神、荒れの神、地震の神、
と申してお願いすれば、
万里先にいても、この世の荒れ、
地震逃のがれさせてやるぞ、
神々様に届く行で申せよ。
こんなよき世は
今までになかりたのじゃ、
膝元ひざもとにいても
言葉ばかりの願い聞こえんぞ、
口と心と行と三つそろった行い、
マコトと申して知らせてあろうが。

人の上の人、
みな臭い飯食うこと出来るから、
今から知らしておくから
気をつけてくれよ。
お宮も一時は無くなる様になるから、
その時は、
みがけた人が神のお宮ぞ。
早う身魂みがいておけよ。
お宮まで外国の悪に壊されるようになるぞ。
早くせねば間に合わんことぞ。
御 詠
いかならん よのおおとうげきつるとて
たまきよければやすくこえなん
如何ならむ 世の大峠来つるとて
魂清ければ安く越え〔へ〕なむ
いかならん わざわいせまりきぬるとて
やすけからめやかみにあるひと
如何ならん 災迫り来ぬるとて
安けからめや神にある人
寸鉄
世界中残らず、
ブルブル、ワナワナ、ドキドキしている最中に
奉然として動かざる事
山の如きものあり、
メシヤ教信者
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70年以上に渡って、
世界救世教に伝わる地上天国有り様
真:真理の具現
善:善の栄える世界
美:真理道理に動く世界
真善美完き世界、
地上天国を実現させるべく
聖都エルサレムに
真善美の御旗を打ち立てたく存じます!!
これは都市伝説です。
エンターテイメントとしてお楽しみください。
日月神示
「日本眞中(まなか)ボタン一つで世界が動くぞ」
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ジュピター Jupiter 平原綾香

















