示す者なきときは、
すなわち目前なれども見えず。
説く者なきときは、
すなわち心中なれども知らず。
【現代語訳】
真理を教え示す者がいなければ、その真理を目の当たりにしても見えません。説き示す者がいなければ、真理を心中に持っていてもそれを知ることはありません。(『理趣経開題』)
「仏道の根本は、そもそも始めもなく終わりもない。仏の教えの本源は、この世の誰かによってつくられたものでもない。過去・未来・現在の三世にわたってかわることはない」という前文を受けて、この言葉は述べられています。
そのような永遠不変に存在している仏の道の根本やその教えの本源を目の当たりにしても、もし教え示す人がいなければ気づくこともない、という教えです。
なぜでしょうか?
それは、真理が永遠不変の存在だからです。
一方、わたしたちが目にしているのは生成消滅する有限な現象世界です。この有限世界は、人間だけでなく、あらゆる生き物が実体として知覚しています。
ところが、永遠不変の世界は実体として知覚することができません。その世界は、現象世界の背後に隠されています。
なぜ、人は苦しむのか?~(2)(8/16)
その世界を知っている人、それが仏陀です。目覚めた人です。
空海は、このような人によって説き示されないと、真理を知ることも、真理の存在に気づくこともできない、と言っているのです。(『日本人のこころの言葉・空海』)より
日月神示に度々登場する『丸にチョン』の図です。
「仏道の根本は、そもそも始めもなく終わりもない」とありますが、〇はどこが始まりでどこが終わりとは言えない図形です。
もしかして、円は‟永遠不変の真理”を表し、チョンは‟生成消滅する有限な現象世界”を表しているのかもしれませんね~![]()
ちなみに、日本の通貨の単位は『円』です。![]()
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高野山の法話#40「供養の二本柱を説く 後編」(10/15)
アップされたばかりの「高野山の法話」です。
約20年前に起きた「和歌山毒物カレー事件」を通して、「供養」に関する法話となっています。是非、お聴きください。(涙)




