空海入唐之地~赤岸(何気ない風景とひとり言さん)
(※空海が乗った遣唐使船は、赤岸鎮という赤岸村の浅瀬に漂着しました)
◆ 密教の正統は日本に渡った
延暦23年12月、苦難の旅を経て、空海は長安の都に到着した。そこにはインドから伝来した密教が、燦然と咲く大輪の花と開いて、空海を待っていた。中国に伝えられた密教には『大日経』系と『金剛頂経』系のふたつの流れがある。
『大日経』系と伝えたのは善無畏三蔵、その請雨の呪法で玄宗皇帝を驚嘆させた法力優れた高僧だ。『金剛頂経』系を伝えた金剛智三蔵も、食事ごとに天から食物を取り寄せ、しばらくだが死んだ人間を蘇生させるほどの呪力を備えていた。その弟子・不空三蔵は、法力をもって安禄山の反乱を瓦解させたことで名高い。
恵果阿闍梨(746年~806年1月12日・永貞元年12月15日)
長安(現・西安)の青龍寺には、この密教のふたつの流れを一身に受け継いだ恵果阿闍梨が、1000人の弟子に法を講じていた。自身も、月の中に観音像を念じ現すほどの修法の力をもつこの恵果を、空海は入唐した翌年の5月に初めて訪ねる。
その出会いを空海はこう書いている。
「師は私を見るやいなや、微笑して喜んで言われた。《自分は前からあなたが来られるのを知っていて、久しい間お待ちしていました。今日、お目にかかれたのは大変喜ばしいことです。自分の寿命もまもなく尽きようとしているが、密教を伝えるのに然るべき人がおりませんでした。早く用意を整えて灌頂壇(密教の秘法を修する道場)に入るのがいいでしょう》と」
空海真言密教八祖誕生の像(青龍寺)
密教正統の深奥と先師たちの神秘体験のすべてを、その一身に受け継ぐ恵果その人が、その1000人の弟子ではなく、初めて会う異国の人・空海に、『お前には何も教える必要はない。すぐ、密教の奥義を伝えよう』と言ったのだ。
空海が日本で積んできた言語を絶する厳しい修行や、また、修験道の中に学んできたことは、すべて密教の理(ことわり)にかなっていたのである。
それから空海は数ヶ月をかけて『大日経』系と『金剛頂経』系の密教の伝法を受け、8月10日に密教世界の王位ともいうべき阿闍梨の位をさずかる灌頂の秘儀を受ける。『遍照金剛』の灌頂号も授かった。
恵果空海記念堂(西安・青龍寺)
と同時に、恵果の指導のもとに、密教の秘儀の行法に欠かせない用具を整えにかかった。なにより重要な曼荼羅を唐の名だたる画工に描かせる。金属の秘具・仏具も、長安の工人に鋳造させた。おびただしい経典を筆写させることも忘れてはならない。空海は20年間の留学生活のために用意した莫大な費用を、惜し気もなく注ぎ込んだのである。
飛行三鈷杵(レプリカ)
すべてが済んだ時、恵果は言った。
「今こそ、そなたにこれを譲ろう」
それは金剛智・不空・恵果と伝えられてきたインド伝来の8種の仏具であった。
【熊野・高野山の旅】高野山編②(2017/9/10)より
これは密教の正統の相続の印可(いんか)として伝えられる、いわば『三種の神器』だ。それが空海に譲られたその時、密教の正統はインドでも中国でもなく、日本にのみ伝わることになったのである。つまり、インドや中国の密教の高僧たちの超能力の秘密のすべてが、空海ひとりに受け継がれたのだ。
(『密教の本~驚くべき秘儀・修法の世界』より~次回へ続く)
なお、「真言密教の伝法の順序」と「恵果阿闍梨の肖像画」は、下記の「見えない糸に導かれて~vol.5」で使用したものです。恵果阿闍梨の脇に童子が描かれていますね。
恵果が真言八祖像として描かれるときは、童子を従えた姿に描かれることになっています。恵果の弟子という説もありますが、ハッキリしていません。私見ではありますが、‟時空を超えた約束”を示唆していると思いますよ。ではでは~![]()







