修験道の開祖・役行者~(3) | 新MUのブログ

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2014年11月末をもって閉鎖した【MU(ムー)のブログ】の管理人です。
その節はお世話になりました。以前は時事問題を主に取り上げ
ましたが、各種事情により少しセーブします~♪

【熊野・高野山の旅】龍泉寺編(2017/9/15)より母公堂

 

◆ 幾多の神通力を発揮

 

小角の消息は、その母にさえぷっつりと途絶えた。が、やがていつの頃からか「葛木山の呪術者・役行者小角」の名が、大和の里の民の間で、広く尊敬と信頼をもってささやかれるようになった。

 

古書によると、葛木山の岩窟に住み、葛(くず)の衣を着て松の葉を食らい、清い泉の水を浴び、『孔雀明王経法』の呪法を修めること30年、小角はついに不思議の術を悟ったという。彼はその不思議の神通力を惜しみなく発揮し、以前にもまして多くの人を救うようになったからだ。

 

日照りの夏には、『孔雀明王経法』最高の秘術『請雨の修法』で雨を呼び、田の稲をよみがえらせた。秋の風雨が過ぎれば、祈りを止めた。そんな小角の呪力にうたれた里人の中には、少しでも行者の力のそばにいようと、彼の周囲に住み着いてしまう者もいた。

 

【2018年秋】京都・吉野の旅(3)(2018/11/15)より

 

また小角の修行の場は、葛木山地一帯から吉野・大峯を超え、遠く熊野にまで至っていたが、そこは、いずれも山岳修行の聖地。山岳修行の行者や僧が思い思いの行を積んでいたが、彼らもまた小角を師と慕うようになった。里人とは違う山野の自然に溶け込んでのこの国古来の生き方を守る山の民も、小角を敬い、山仕事や水くみの奉仕をかって出た。

 

つまり、小角を中心としたひとつの秘教的集団、いうならば修験道にかかわる人々の宗教団体が葛木山を背景に形成されはじめたのだ。

 

 

小角のその集団に加わる人々の中には、朝廷の重い税や労役を嫌って逃れてきた者が少なからず混じっていた。朝廷からみれば、それは明らかに犯罪だ。が、小角はそんなことには一切構わず、彼らとともに山岳聖地をつなぐ道を開くなどの土木工事をし、薬草を採取し、里の民の役に立てるための鉄や銅、金銀などの鉱物資源を採掘したりしていたのである。

 

そんな小角の弟子の一人に、韓国連広足(からくにのむらじひろたり)という若者がいた。物部一族の、だが没落しかけた家系に出た彼は、知的に非常に優れた若者だったが、それゆえにかえって超能力的な呪力を出世のための手段としてしかとらえられなかった

 

「お師匠さま、なぜ私には呪法を授けてはくださらないのですか」

 

「いや、小角のこの身が毎日それを伝えているではないか」

 

師の持つような超越的な能力は、知識として身につけられるものではなく、厳しい修行の果て、自らの深奥から湧き起こってくるものだということを、彼はついに感得できなかったのだ。

 

打ちのめされて広足は空しく山を降り、師の小角を『呪術をもって人を惑わすばかりか、謀反の志さえある』と、朝廷に密告したのである。「『密教の本~驚くべき秘儀・修法の世界』)より

 

修験道の聖地で荒行体験 奈良県天川村の大峯山