「位山を中心とする16方位と羽根ライン(3)」の文末におきまして、「次回は武内宿禰のことを記事にします」と述べましたが、竹内巨麿の間違いでした。お詫びして訂正いたします。m(__)m
武内宿儺(Wikipedia)より
武内宿禰は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣で、生没年不詳で謎の人物といわれていますし、前々記事でお伝えしたように、スメラミコトの代行として最後の万国巡幸をしています。
竹内巨麿(1875年?~1965年)より
富山県上新川郡新保村生まれ。平群真鳥の子孫であるとされる竹内家の養子に入りました。祖父から遺言で「世の中が平和になったときに公開せよ」として譲り受けた宝物・文献を携えて上京。
鞍馬寺(Wikipedia)
宝物・文献は知人に預けて、東京御嶽教本部に入信。鞍馬山とさらに奥にある大悲山で千日間にわたり修行した。そこで、「大己貴尊」(おおなむちのみこと)をはじめとする神霊や修行者から神法道術や神代文字を学ぶ。
花背大悲山(京都の自然100選)
やがて1910年(明治43年)ごろ、神代の時代から伝わる真の歴史書であるとして、【竹内文書】を公表。この文献・神宝類を経典として天津教を興した。(引用終了)
(関連記事) 竹内文書(月刊ムー公式WEB)
竹内巨麿が公開した『竹内文書』の一部
≪空を飛んだ教祖≫(竹内文書の謎を解く①)より
富山県で共同通信社の記者をしていた1984年のことだ。巨麿の四男で高畠家に養子に行った天神人祖一神宮の高畠吉邦管長を取材した。
当時私は、竹内文書について調べていた。巨麿の息子に聞けば、巨麿がいったい何者で、何の目的で竹内文書を公開したか、その文書が本物なのかどうか、わかると思ったのだ。(中略)
「竹内巨麿とはどういう人物だったのですか?」
「ある種の力を持っていた」
「どういう力ですか」
「神通力です。ある時、みなが集められた。何をやるのかと見ていると、父は両手に榊を持ち、言霊を発すると、その榊が光り出した。ロケットの炎のようだった。やがて父は、まさにロケットのように垂直に50メートルは浮かび上がり、しばらくしてそのまま垂直に降りてきた」
「空を飛んだのですか。高畠さんも見たのですね」
「見ました。はっきりと」
「何度もそんなことをしたのですか」
「空を飛んだのを見たのはそれっきり。父はこれが最後になると言っていた」
「最後とは」
「父は、この飛天の術は『私で最後になる』と言ったのです。私たちにはこの飛天の術は会得できない。おそらく、もう食べ物が汚染されているか何かで、人間の体質が変わってしまった。本当に神聖な食べ物を食べていない限り、この術はできないということだったと思います」(引用終了)
当然、筆者は半信半疑なのですが、わたしには「嘘」と片づけられないのです。もう25年ぐらい前のことです。実父は平成6年に亡くなっているのですが、その3年前ぐらいのことだったでしょうか?
父は何か悩みがあったらしく、「隣町の神様のところに相談に行っって来る~」と出掛けました。神社の名前は「猿田彦神社」といいます。その頃のわたしは、神社には詳しくはなかったので、「ふ~ん」という感じでした。帰宅して間もなく・・・。
(母)
「父さんの話しでは、宮司さんが天井を歩いたんだってよ~」
(子)
「天井を歩いた?そんなことあるわけないじゃん!バカバカしい」
(父)「この目でハッキリ見たんだぞ!」
(子)「他の人も見たの?」
(父)「うん、他にも見ていた人がいた。本当に天井を逆さまになって歩いたんだ~」
それ以上、父を責め立てるようなことはしないで、この話題はそれっきりになりました。今回、竹内巨麿が空を飛んだという話が出てきたので思い出したのです。主人にも話してみました。
(主人)
「あぁ、あそこなぁ~。俺は行ったことがないけど、何人かのお客さんから聞いたことあるわ~。天井を歩く他に、座布団に乗った宮司さんが空中に50センチぐらい浮くのを見たって言ってたぞ。それであの神社は結構有名になったんだ。今は別な所に引っ越したよ」
猿田彦神社・・・天狗、鞍馬寺、サナートクマラ、金星
金星と言えば、高知の洞窟で虚空蔵菩薩への祈りを唱え続けていた空海の口の中に光が入り、「虚空蔵求聞持法」を会得しました。この光は金星だったと言われています。
まぁ、世の中には常識では考えられないことが多数ありますから、実際に見たという人の目撃談を一笑にふすことはできません。父が見た宮司さんの神業(かみわざ)が神霊の力なのか、悪霊の力なのかは不明です。悪霊にもそれなりに力がありますのでね~。
「竹内文書」に関する面白い話があれば、またご紹介いたします。
君をのせて/天空の城ラピュタ主題歌(昭和61年)






