25日は三島由紀夫の命日にあたります。10月から気になっていたこの日を迎えました。今日から彼の魂が蘇るような感覚がして仕方ありません。
蘇る三島由紀夫の「憂国の魂」(1)より
(三島由紀夫は)今に日本はとんでもない時代になるよって言ってたんですね。親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺してみたりとか、そういう時代になるよって、三十数年前に言ってたわけじゃないですか。その通りになりましたよね。(引用終了)
≪三島をめぐるミステリー 月刊ムー11月号≫より
「11月25日」を選んだ理由とは
昭和45年(1970)11月25日午後0時過ぎ、三島由紀夫は、市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地・東部方面総監部2階総監室にて、自決を果たした。
気合を入れて自ら左脇腹に脇刀を突き刺して割腹すると、その首は同行した楯の会隊員によって介錯された。名刀(関の孫六)の一太刀だった。
三島がいつごろから自死を覚悟したかは定かではない。だが、少なくとも、自衛隊の総監を拘束して自衛隊の蹶起(けっき)を訴えるという計画は昭和45年の6月ごろから、楯の会の幹部たちの間で具体的に検討されるようになったらしい。
そして10月2日には、計画の詳細が決められ、決行日が「11月25日」と定められた。では、なぜ「11月25日」が、死に至る日と定められたのだろうか。(中略)
自決日に手渡された遺作の最終回原稿
三島の遺作となった長編小説「豊饒の海」の連載最終回の締切に合わせたのだ、という説がある。
この小説は当時、「新潮」に連載されていて、第4巻にあたる『天人五衰』が大詰めに近づいていた。そして原稿の受け渡しは、毎日25日前後になるのが通例だったようだ。そして、前日に電話で連絡を受けた担当編集者が、11月25日の午前10時半ごろに三島の自宅まで原稿を取りに行っている。
しかし、このとき三島はすでに市ヶ谷に向けて発っていて、編集長は直接三島と会うことができなかった。だが、その編集者は、受け取った封筒に入っていた原稿を社で広げると、怪訝に思った。冒頭には『天人五衰』(最終回)』とあったが、これが最終回とは寝耳に水だったからだ。
そして、最後の頁には・・・・「『豊穣の海』完。昭和45年11月25日」と丁寧に記されている。とこうするうちに、三島の市ヶ谷乱入のニュースが飛び込んできた・・・。創作活動の集大成ともいえる遺作の擱筆(かくひつ)の日を、人生最後の日とする。それは、作家の最期としては、理想的といえるだろう。
だが、これについては異論がある。文芸評論家のドナルド・キーン氏は、この年の8月に下田のホテルで三島と会い、本人から原稿の最後の部分を見せられたという。
つまり、自決の数か月前に、作品はすでに完成していた、ということになる。したがって、最後の擱筆の署名は、蹶起の日の未明に、三島があえて書き添えた、と考えるほうが妥当だろう。
そうなると、8月以降ならば、いつでも原稿を編集者に渡すことができたし、いつでも決行日にすることができた、ということにもなる。
つまり、仮に三島が連載の締切に自決の日を合わせたとしても、結局「なぜ11月25日を遺作の擱筆の日に選んだのか」という謎が残ってしまう。
遺作に仕掛けられた輪廻転生のミステリー
ところで、小説『豊饒の海』は、輪廻転生をモチーフとした作品で、狂言回し役の本多繁邦が、主人公である夭折した友人の転生を、次々に追跡するという物語だ。晩年の三島は仏教思想に傾倒し、輪廻やそれを裏づける唯識説について、深く研究していたという。(中略)
そして物語の最後では、本多が友人の転生者と思っていた青年が、じつはニセモノであることが明らかになり、謎を残したまま、ある意味では不可解な結末を小説は迎える。多くの読者は、「本物の転生者はどこにいるだろう」と、肩透かしを食らわせられたような印象をもつだろう。
ここで、興味深い事実をひとつ指摘しておきたい。
仏教の伝統的な輪廻転生思想では、人間は亡くなると、49日間、生と死の間をさまようという。この期間を≪中有≫といい、49日目に次にどの世界に生まれ変わるかが決まり、それから転生が始まるとされている。
これに則ると、昭和45年11月25日に自決した三島は、49日後の翌年の1月14日に転生を果たした、ということになる。
1月14日とは、何の日だろうか?
実は、この日は三島の出生日なのである。三島は大正14年(1925)の1月14日に生まれているのだ。こうなると、「11月25日」という日付のもつ意味合いが、くっきりと浮かび上がってくる。
輪廻転生をモチーフとした物語を、謎めかした結末をつけてこの日に擱筆し、そして作者自身の人生も結末を迎える。だが、作者は、49日間をへて、再び自分の誕生日に人間に「転生」し、小説世界の主人公と作家は、「輪廻」を介して渾然と融合して、現実世界に登場する。
来世で、再び「己れ」に転生し、遺作の主人公と一体化するため・・・それが三島由紀夫が「11月25日」を自死の日に選んだ理由なのであろう。(転載終了)
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三島由紀夫の命日は11月25日で誕生日が1月14日です。天神様で有名な菅原道真公の月命日も「25日」なのです。
自決事件の翌年の1月14日に転生したと仮定しますと、現在は45歳になっていますね。(1)の中で、美輪さんが仰っていた三島さんに憑依している靈は、2.26事件の磯部浅一将校(長門市出身)です。
三島由紀夫に憑りついていた青年将校の靈はそうとう強烈だったらしく、川端康成邸や美輪明宏邸で三島氏の供養をした際に、僧侶や行者がのけぞって恐れおののいたという逸話もあるくらいです。
憶測でしかないのですが、自衛隊員の中に三島由紀夫の魂をもって転生してきた人がいるのではないかと思ったりして、近い将来世の中が混乱し、霞が関・永田町の住人に憤怒の想いをもった三島由紀夫の魂をもった人物がクーデターを起こすのも絵空事ではないかもしれません。
実は驚いたことがあります。『蘇る三島由紀夫の「憂国の魂」(1)』をアップしたのは11月12日でした。14日の伊勢白山道さんの記事を拝読して目が点になりました。彼の記事は転載できないので各自でお読みください。彼が三島由紀夫の誕生日を知っていて書いたのかどうかはわかりませんが、「1月14日」が赤字になっております。(@_@)
(参考)
自分で、自分自身を救う意識から(11/14 伊勢白山道さん)
「福島県沖でM7.4の地震、オセロの始まり(1)」より
なお、『福島県沖でM7.4の地震、オセロの始まり(2)』でお伝えした仲間の初孫誕生ですが、今朝の5時58分に元気が男の子が生まれました。母子ともにお元気です。
どういうわけか、22日福島県沖の地震発生時刻の1分前にこの世に生を受けたことになります。我が家の止まった電波時計は、よく見ると「5時58分10秒」を指しているのでは?






